藤子不二雄Aさんの漫画「笑うせぇるすまん」が、ロバートの秋山さんの主演で、実写ドラマ化。

アマゾンプライムで、配信ということのようですね。

昔、伊東四朗さんの主演でも、実写ドラマ化が、されていましたが、「見た」という記憶は、あるものの、内容は、全く、記憶に残っていない。

やはり、最初にアニメになった、TBSの番組「ギミア・ぶれいく」の中で放送されていたのが、強烈なインパクトで、いつも、楽しみにしていた。

 

 

 

「私の名前は、喪黒福造。人呼んで、笑うセールスマン。ただのセールスマンじゃございません。私の取り扱う品物は、心。人間の心でございます」

 

人間の「心の闇」が、この漫画のテーマとなる。

藤子不二雄Aさんが、得意としていたジャンル「ブラック・ユーモア」で扱われるのは、この「人間の心の闇」と、言うことになる。

 

さて、藤子不二雄Aさんの短編の中に、「明日は日曜日、そして、また明後日も」という作品があります。

 

 
 

 

主人公は、「田宮坊一郎」という青年。

大学を卒業し、ある会社に、就職をした。

 

母親は、坊一郎の初出社に、色々と、世話を焼く。

父親は、そんな母親を「もう、一人前の大人だから」と叱るが、父親もまた、坊一郎の初出社には、大いに、心配をしていた。

 

弁当を持って、家を出た坊一郎は、満員電車に揺られ、ようやく、会社の前に、たどり着く。

しかし、気弱な坊一郎は、なかなか、会社に入ることが出来ず、入口前で、ウロウロしていたところ、守衛に怒鳴られ、思わず、逃げ出してしまった。

そのまま、会社に行くことが出来ず、昼間で過ごし、公園で、一人、泣きながら、弁当を食べる。

 

家に帰った坊一郎は、初出社を喜ぶ両親に、本当のことを言うことが出来なかった。

そして、次ぎの日も、出社のために家を出るが、坊一郎は、やはり、会社に行くことが出来ない。

 

会社から、坊一郎が、会社に出社をしていないという連絡があり、両親は、事実を知った。

会社に行くことが出来ない坊一郎を、病院に連れて行くと、医者は「会社に行きそびれたことをきっかけに、会社に行くことが出来ない病気になった」と、診断をされる。

 

それから、長い年月が経ち、両親は、年を取ったが、坊一郎は、部屋に閉じこもったまま。

明日も日曜日、そして、また、明後日も……。

 

この短編が描かれたのは、1971年ということ。

当然、当時は、まだ「引きこもり」という言葉も、概念も無い時代。

しかし、すでに、藤子不二雄Aさんは、こういう人が、居るかも知れないということを見抜いていた。

どこから、この発想が生まれたのでしょう。

モデルになる何かがあったのか。

それとも、純粋に、想像によって、描き上げたのか。

 

この漫画を読んだ時、僕は、「他人事ではない」と思って、怖くなりました。

僕が、この短編を、初めて読んだのは、高校生の頃。

僕には、対人恐怖に近い「人見知り」と、ある病気があり、自分が、他の人と同じように、将来、会社勤めをすることなど、想像をすることが出来なかった。

 

その後、やはり、学校を卒業しても、しばらく、働くことが出来ない時期が続いたのですが、「引きこもり」という言葉を聞くようになったのは、その頃。

しかし、その頃は、まだ、「学校に行かない」という、若者の「引きこもり」が、中心。

 

しかし、今では、大きな問題になっているのは、中高年の「引きこもり」で、親の高齢化に伴い、「引きこもり」をしている中高年の子供が、社会的に、大きな問題となっている。

 

僕は、幸いにも、自分にも出来る仕事を見つけ、低賃金ながら、何とか、働くことが出来るようになった。

しかし、聞いた話では、かつての、僕の同級生が、学校を出た後に就職をした仕事を辞めてから、長く、仕事をせず、家で、ぶらぶらしているという話。

一体、親が、亡くなったら、どうするつもりなのか。

 

僕自身でさえ、今の低賃金で、親が亡くなった後、まともに、生活をしていくことが出来るのかどうか不安がある。

全く、収入の無い「引きこもり」の中高年の人は、親が亡くなったら、どうやって生きて行くつもりなのか。

 

安易に「生活保護」で、生きて行くことが出来るというのなら、働かない方がマシ、と、言う考えも生まれるでしょうが、そう簡単に行くのかどうか。

長年、仕事をしていない、または、全く、仕事をしたことが無い中高年を、たとえ、アルバイトでも、雇ってくれる会社があるとは思えない。

やはり、支援団体の助けが必要となるのでしょうが、果たして、どうなるのか。