さて、この本から。
いよいよ、「新約聖書」に入りますが、その前に、イエスが生きた時代が、どのような時代だったのか。
解説がありましたので、紹介します。
現在、世界で使われている「西暦」ですが、これは、イエスが生まれた年を、基準にしているんですよね。
しかし、実際は、紀元前6年頃に生まれたのではないかと推測されているそうです。
当時、パレスチナを支配していたのは「ローマ帝国」です。
ユダヤ人たちは、ローマの元老院によって「属王」の地位を得ていたイドマヤ人の「ヘロデ」という人物によって支配され、ある程度の自治を認められていたそうです。
この頃、ユダヤ教は、祭司を中心とする「サドカイ派」と、律法学者を中心とする「ファリサイ派」」に分かれて、対立をしていました。
サドカイ派の人たちは、「ヘレニズム」を許容し、宗教的というよりは、政治的な勢力を持つ特権階級で、成文律法のみを重んじる。
ファリサイ派の人たちは、中産階級が多く、純正ユダヤ主義を持って、ヘレニズムを嫌ったということ。
この他に、砂漠に隠遁をして修業をする「エネッセ派」と呼ばれる人たちも居た。
さて、確かな歴史書の中に残る、イエスの話は、ローマの歴史家「タキトゥス」が記したものの中に、総督「ピラト」の元で、イエスが処刑をされた話が、わずかに残されている。
また、ユダヤの歴史家「フラビウス・ヨセフス」が、「キリストと呼ばるイエスの兄弟、ヤコブが、石打ちの刑にあった」と記している。
この程度しか、例が無いということ。
さて、この「キリスト」という名前は、「油を注がれた者」という意味のヘブライ語「マーシュィーアッハ(メシア)」に当たるギリシャ語「クリストス」のこと。
上に挙げた記録の中で「キリストと呼ばれるイエスの兄弟」と、歴史家が記録をしているということは、イエスが、生前から、すでに、「キリスト」と呼ばれていたということになるのでしょう。
もっとも、イエスの死後、イエスが「キリスト」と呼ばれるようになってから、過去の出来事を記録したという可能性もありますが、その点は、どうなのか、この本からは、前後関係が、よく分からない。
「旧約聖書」が、「イスラエルの人たちと、『神』との物語」であるのに対して、「新約聖書」は「イエス・キリストの物語」ということになる。
つまり、「旧約聖書」の「神」は、あくまでも、「イスラエルの人たち」にとっての「神」であり、他の人たちには、関係の無いもの。
しかし、「イエス・キリスト」は、ユダヤ教徒でありながら、この「旧約聖書」の教えを、破ったということになるのでしょう。
イエスが、手を差し伸べたのは、「イスラエルの人たち」に限定された訳ではなく、「社会的弱者」の全てに、救いの手を差し伸べた。
例えば、その日の暮らしにも困るような貧しい人たち、病気で苦しんでいる人たち、社会的に差別をされている人たち。
イエスが、大きな支持を受けたのも当然です。
何しろ、これまで、「神」とは関係無いと思われて人たちに、「神」が、関わるようになったのですから。
その反面、「旧約聖書」の教えを守り、厳しい律法を守って生活をしているユダヤ人たちからは、イエスは、激しく、批判をされることになり、それが、最終的に、イエスを、処刑に導くことになる。
イエスは、何を考えて、そのような思想にたどり着き、行動をしたのでしょう。
個人的には、「新約聖書」の中の「イエス・キリスト」ではなく、歴史的人物としての「イエス」を知りたいところですが、それは、不可能な話。
少し、残念なところです。