岩波文庫「失われた時を求めて」の第一巻を読了。

この小説。

意外なことに、とても面白い。

個人的に、これまで読んだ外国作家の小説の中で、一番、面白いかも。

 

 

大きな理由は、やはり、「翻訳の良さ」です。

外国人作家の小説の日本語訳には、個人的に、独得の読みづらさがあり、あまり好きではない。

それだけで、途中で、挫折をしてしまった小説も、いくつもある。

しかし、この岩波文庫「失われた時を求めて」の日本語訳は、まるで、日本人の作家が書いた小説の文章のように、スラスラと、抵抗なく、読み進めることが出来る。

そして、「難解」と有名な著者プルーストの文章ですが、全く、「難解」ということはない。

むしろ、文章自体は、ただ「長い」というだけで、分かりやすく、簡単なもの。

 

そして、この本には、「失われた時を求めて」という小説に関しての、分かりやすい解説や、文章の中の物事に対する注釈が付けられていて、読者の理解を助けてくれる。

読んでいて、何だか、よく分からないなと感じたら、それを、参考にすれば良い。

 

とにかく、この岩波文庫「失われた時を求めて」は、この小説を読む人に対して、とても丁寧に作られている印象です。

この岩波文庫でなければ、僕も、これほど、楽に、読み進めることは出来なかったかも。

 

さて、内容です。

 

この岩波文庫「失われた時を求めて」には、第一編「スワンの家のほう」の中の、第一部「コンプレー」が収録されている。

この「コンプレー」とは、主人公の「私」が、少年時代の春から夏にかけて、休暇を過ごした架空の町の名前。

 

さて、物語は、「私」が、眠れない夜をベッドの上で過ごしている場面から始まる。

実は、この時の「私」は、晩年の「私」ということになる。

ここで、「私」は、半分、寝ていて、半分、起きているような、意識のぼんやりとした中で、過去の様々なことを思い出す。

そして、有名な「紅茶に浸したマドレーヌ」の感覚から、少年時代に生活をした「コンプレー」での記憶が、鮮やかに、蘇ることになる。

 

この「失われた時を求めて」は、多くの人が、読み始めることなく、敬遠をしてしまう。

それは、やはり、「あまりにも長い」というのが、一つ。

そして、「難解である」という評判が、一つ。

少なくとも、この「難解である」というのは、大きな誤解だということは、読み始めると、すぐに分かるでしょう。

文学作品を好んで読む人には、それほど、読み進めるものが難しい、難解なものではない。

 

更に、一度、読み始めた人も、多くが挫折をしてしまうということ。

これは、気持ちが、よく分かります。

恐らく、この「失われた時を求めて」は、多くの人が、途中で、挫折をすることでしょう。

 

理由としては、様々な物事や、出来事について。

その、一つ、一つについての、非常に、詳細で、とても長い描写が、「私」の言葉として、延々と続いて行く。

読んでも、読んでも、物語は、先に進まない。

しかも、この「失われた時を求めて」には、基本的に、ドラマチックな物語展開というものは無いようで、小説に「物語としての面白さ」を求める人には、とても、読み進めることは出来ないでしょう。

 

しかし、個人的には、この「私」による、様々な物事、出来事についての、非常に、長く、詳細な描写が、読みやすい日本語に訳されていることもあって、とても、面白い。

この文章を読んでいるのが面白く、全然、飽きることなく、物語を読み進めて行くことが出来る。

 

この岩波文庫「失われた時を求めて」の第一巻の中の、400ページ弱が、小説の本文「コンプレー」です。

この400ページで、物語の何が進んだのかと言えば、何も、物語は、進んでいない。

この「コンプレー」は、「失われた時を求めて」の全体のプロローグのような存在になるそうです。

400ページも読んで、何も、物語が進まないとなれば、普通の人は、挫折をして、当然でしょう。

 

そして、この第一部「コンプレー」は、「コンプレー」での生活の回想が終わり、晩年の、眠れない「私」の夜が明けたところで終わる。

つまり、何も、物語は、進んでいない。

 

もっとも、この第一部「コンプレー」の中で、その後、重要なテーマとなることが、いくつも登場することになる。

それは、「スワン」という人物のことであり、芸術の話であり、同性愛の話も、すでに、登場する。

 

やはり、ヨーロッパの町や、そこに住む人の生活には、「キリスト教」が、かなり、大きな比重を占めているようで、町にある教会に関する描写もまた、延々と、続き、至るところに登場することになる。

 

とにかく、「私」による、語りの文章を読んでいると、一体、このような「知識」、「考え」が、どこから、延々と、出て来るのかと感心をしてしまいます。

プルーストという人物が、とんでもなく、様々なことに関して「博識」であり、深い「思想」や「洞察力」を持っていたということが、よく分かる。

 

この「失われた時を求めて」を読んだ人は、その後、世界の見方が変わると言われているそうです。

この小説を読むと、様々な知識を得ることはもちろん、常識的な、ものの見方を、変えてしまうことを体験することが出来るのは事実でしょう。

これを「プルースト体験後」と呼ぶ人も居るそうです。

 

さて、ようやく、第二巻に突入。

今のところ、挫折をせずに、気長に、読んで行くことが出来そうです。