さて、この本から。
学校の世界史の授業でも出て来る「バビロン捕囚」。
紀元前597年、南王国ユダを滅ぼした、新バビロニアの王「ネブカドネツァル二世」は、エルサレムに立てこもっていたユダの王「ヨヤキン」と、その一族、および、エルサレムの上層部の人々や、職人など、一万人を、強制連行。
この時、ネブカドネツァル二世は、ヨヤキンの叔父、「ゼデキア」を王として、ユダ王国の形だけは、残します。
しかし、紀元前586年、ゼデキアは、反乱を起し、ネブカドネツァル二世は、再び、エルサレムを攻撃。ゼデキアは、逃亡しますが、捕らえられ、バビロンに連行される。これが、二回目の「バビロン捕囚」。この時、エルサレムの神殿は、破壊され、略奪をされます。
更に、紀元前582年、745人が、バビロンに連行される。これが、三回目の「バビロン捕囚」で、合計、約1万5千人のイスラエルの人たちが、強制連行された。
この「バビロン捕囚」で連れ去られた人たちは、イラクの首都バグダッドから南に90キロほどにあった、当時「ニップール」と呼ばれた町の近くにあるケバル川のほとりに住まわされたようです。
ここで、労働に従事しながら、約60年、生活をすることになる。
この時の苦難が、「ユダヤ教」の成立に、大きく影響を与えることになる。
彼らは、恐らく、奴隷のような強制労働に従事させられ、その困難に耐えるために、イスラエルの人たちは、宗教を純化させることで、民族の結束を図ったのでしょう。
その中心になったのは、神の言葉を伝える「預言者」や、宗教を司る「祭司」たち。
旧約聖書は、この時代から後に、編纂をされて行くことになるようです。
南王国ユダを滅ぼし、イスラエルの人たちをバビロンに連れて行った新バビロニアは、「ペルシャ帝国」によって、滅ぼされることになります。
このペルシャ帝国の王「キュロス二世」が、新バビロニアを圧迫していることに、「バビロン捕囚」にあったイスラエルの人たちは、期待を持って見ていたようです。
イスラエルの人たちは、ペルシャ帝国のキュロス二世が、「神」の意思によって、自分たちを解放させるために、やって来ると解釈した。
そして、実際に、ペルシャ帝国のキュロス二世は、紀元前539年、新バビロニアを滅ぼし、イスラエルの人たちを解放する。
このペルシャ帝国は、他の民族に対して、とても寛大な政策を取り、兵役と納税の義務を守れば、後は、何事も、自由を認めた。もちろん、宗教の自由も認められる。
捕囚に遭ったイスラエルの人たちは、パレスチナに帰ることになる訳ですが、実は、パレスチナに帰還をしたのは、捕囚に遭った人たちの中の、ごく僅かだったそう。
パレスチナの地を離れてから、すでに60年。多くの人が、現地で生まれ、また、かつて、パレスチナの地に住んでいた人は、多くが、捕囚の中で亡くなり、生き残りは、僅かとなっていたはず。長旅に耐えられない高齢の人も、多かったでしょう。何としても、パレスチナに帰るという意思を持っていた人は、少なくなっていたのだろうと思います。
バビロン捕囚から、パレスチナに帰って来た人たち。
当然、現地では、多くの異民族が、暮らしているということになる。
また、バビロン捕囚に遭わなかったイスラエルの人たちは、周辺の異民族、異宗教の影響を受け、かつての宗教観は、大きく変化をしている。
そこに、信仰を、先鋭化、純化して「バビロン捕囚」から戻って来たイスラエルの人たち。
当然、そこに、摩擦が生じることになる。
どうも、バビロン捕囚に遭わず、パレスチナに残されたイスラエルの人たちと、バビロン捕囚から帰って来たイスラエルの人たちの間には、相容れない距離が生まれていたようです。
紀元前522年、「バビロン捕囚」から帰還をした人たち(以後、ユダヤ人と呼びます)は、破壊、略奪にあったエルサレムの神殿の再建に乗り出すことになる。
キュロス王の後を継いだ「ダレイオス一世」もまた、ユダヤ人たちには寛大で、神殿の再建を支援することになる。
これを「第二神殿」と呼ぶそうです。
ユダヤ人たちは、「王」を持つことはなく、宗教的指導者が、中心になることになる。
これは、つまり、もはや「国」を持つことは出来なかったということになるのでしょう。
このペルシャ帝国による支配は、あの「アレクサンダー大王」の登場によって、終わりとなる。
ギリシャ、マケドニアに登場したアレクサンダー大王は、瞬く間に、ギリシャから、勢力を拡大し、ペルシャ帝国を滅ぼし、エジプト、インドの方面までも、支配下に置くことになる。
この時、生まれたのが、ギリシャ文化と、オリエント文化が融合した「ヘレニズム文化」です。
しかし、アレクサンダー大王は、若くして亡くなり、国は、分裂。
パレスチナは、プトレマイオス朝エジプトの支配となりますが、セレウコス朝シリアが、エジプトとの戦いに勝ち、パレスチナの支配権を得る。
シリアの「アンティオコス四世」は、ユダヤ人たちを、激しく、宗教弾圧。
この宗教弾圧に対して、ユダヤ人の祭司「マタティア」が、反乱を起します。
マタティアの後も、子供たちが、反乱を継続。エルサレムの神殿を、取り戻します。
反乱軍の中心だった「マカバイ」は、「王」を名乗ったようですが、その後、祭司だけを行う、実権の無い「王家」となって行ったということ。
旧約聖書の中で、歴史的な話は、ここまで、と、言うことになるようですね。
もちろん、旧約聖書の中には、歴史的な話以外にも、様々なもの、例えば、詩、説話、その他、宗教的、文学的なものが、たくさん、収められている。
それらもまた、色々と、面白い。