さて、また、この本から。
イスラエルの人たちを率いて、エジプトを脱出。
苦難の旅を続けた「モーセ」は、神との約束の地を前にして亡くなります。
その後、イスラエルの人たちを率いたのは「ヨシュア」という人物。
また、物語の方は、さておいて、気がついたことを、いくつか。
ヨシュアに率いられたイスラエルの人たちは、ようやく「神」との約束の地「カナン」に到着をする訳ですが、その過程から、異民族との戦いの連続です。
これは、当然の話ですよね。
イスラエルの人たちにとっては、そこが「神」から与えられた土地で、自分たちが、そこに行くこと、そして、そこで生活をすることに、確かな正当性がある訳ですが、それ以前から、その地域に住んでいる人たちにとっては、大いに、迷惑なこと。
軋轢が生まれるのは当然で、そこに、戦争が生まれることになる。
これは、第二次世界大戦以降、現在まで、延々と続く、イスラエルと、周辺諸国との対立と同じ。
ヨシュアによって、ようやく「神」との約束の地に到着し、そこで生活をすることになったイスラエルの人たちは、ヨシュアの後、代々、「士師」と呼ばれる、宗教的指導者を頂点にして、生活をしていたそうです。
ちなみに、韓国の会社の名前になっている「サムソン」も、この「士師」の一人だったようですね。
知りませんでした。
この「サムソン」は、「士師」の中でも、かなり個性的で、有名な人物だということのよう。
そして、どうも、この時期、周辺の異民族との戦いは、「神」の意思によって行われたという構図になるようです。
具体的には、安住の地を得たイスラエルの人たちが、「神」の教えを、蔑ろにするような態度を取るようになると、「神」は、罰として、異民族に、イスラエルを攻撃させる。
やはり、人は、生活が楽になると、「神」への信仰心は薄れ、堕落に向かう。
これは、いつの時代も、同じでしょう。
そして、時代が過ぎると、イスラエルの人たちは、神の意思を伝える「士師」よりも、「王」の存在を求めるようになります。
つまり、「神」よりも、「現世」での力を求めるようになる。
そして、「士師」の時代は、「サムエル」で終わり、いよいよ「サウル」という人物が、イスラエルの人たちの「王」となります。
イスラエルの人たちを「王」が、率いるようになると、どうも、「神」との関係は、相対的に、薄くなって行くようですね。
サウルもまた、周辺異民族との戦いに勝利し、その存在感を高める。
この「王」の時代から、いかにも、人間のドラマ、歴史が、始まるようです。
そして、この「サウル王」の元で、いよいよ、イスラエルの最盛期を生み出すことになる「ダビデ」が登場をする。
さて、少し、余談。
この「旧約聖書」には、今、あのイスラエルの存在する土地。
いわゆる「パレスチナ」と、その周辺値域。
ここは、「神」によって、イスラエル民族が、「与えられた土地」ということになる。
個人的な推測で、歴史的経緯を想像すると、恐らく、これは、「後付け」の理由ということになるのではないのでしょうかね。
つまり、イスラエル民族は、古代、何らかの理由で、あのパレスチナの土地に、定住をするようになった。
当然、元から、そのパレスチナに居た民族、そして、その周辺に住む民族とは、大きな軋轢が生まれ、戦闘が絶えないということになる。
恐らく、その中で、イスラエル民族は、自分たちが、その土地「パレスチナ」に住むことの正当性として、「神から与えられた土地なんだ」という理屈をつけたのではないでしょうか。
そして、それが、「旧約聖書」に書かれ、現代にまで、残ることになる。
この問題は、恐らく、永遠に、決着はつかないですよね。
なにしろ「神」が決めたことなのだから。
今、イスラエルは、ガザ地区に追いやったパレスチナの人たちを、「民族浄化」のような状態にしようとしている。
そして、国際社会は、誰も、それを止められない状況。
何で、無難に、共存が出来ないのかと言えば、やはり「神」の意思だからではないでしょうかね。
とても、厄介で、難しい問題です。