NHKで、フランスのドラマ「アストリッドとラファエル・文書係の事件簿」のシーズン5が放送されていますね。

大好きなドラマで、シーズン1から、欠かさず、見ています。

前回は、「ブードゥー教」を利用して、売春組織を牛耳っている犯罪者の事件。

そして、前々回は、キリスト教の一派「モルモン教」のコミュニティの中での事件が、描かれていました。

どちらも、宗教絡みの話。

 

この「モルモン教」については、昔、ファンだった斉藤由貴さんが、信者だということで、初めて、知りました。

ネットで、少し、調べて見ると、今は、「モルモン教」という名前を使わないようにと言われているようですね。

正式には、「末日生徒イエス・キリスト教会」と言うそうです。

 

ドラマ「アストリッドとラファエル」の中では、「一夫多妻制」が、事件の動機となっていました。

どうも、モルモン教の創始者ジョセフ・スミスは、教義として「一夫多妻制」を認めていたということ。

実は、殺害された男は、新たなカルト宗教の教祖になろうとしていた。

そこで、妻が居るにもかかわらず、16歳の少女を、新たに、妻にしようとしていた。

それに、妻が嫉妬をして、殺害をしたということになる。

そして、取り調べの中で、16際の少女の両親は、娘が、男の妻になるということに、賛成をしていた。

そして、16歳の少女も、男の妻になることに喜びを感じていた。

宗教によって、価値観が狂わされる。

 

宗教コミュニティを舞台にした映画として、思い出すのは、「刑事ジョン・ブック 目撃者」です。

個人的に、大好きな映画。

公開は、1985年。

 

 

 

この映画には、キリスト教の一派「アーミッシュ」のコミュニティが、登場しますよね。

この映画を見て、その存在を、初めて、知りました。

しかし、映画の中で描かれた「アーミッシュ」は、必ずしも、事実を表していないということのよう。

 

ネットで調べて見ると、「アーミッシュ」とは、アメリカのペンシルバニア州や中西部、カナダのオンタリオ州などに居住するドイツ系移民の宗教集団ということ。

キリスト教者共同体で、移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜による自給自足の生活をしているということ。

2020年時点での推定人口は、約35万人。

 

この「アーミッシュ」には、「戒律」があり、その「戒律」は、それぞれのコミュニティによって、合議で決定されるので、差異があるということ。

 

聖書と、その関連の書物以外の読書は、禁止されているそうですね。

また、義務教育以上の高等教育を受けることも禁止されているということ。

 

学校教育は、コミュニティの中だけで行われ、教育期間は、8年。

教師は、そのコミュニティの中で育った、未婚の女性が勤める。

教育内容は、ペンシルバニアドイツ語と英語と算数のみ。

 

恐らく、多くの宗教コミュニティーで、この「教育」の制限は、広く、行われているものと想像します。

理由としては、やはり、その宗教団体が信仰する「神の教え」に、疑念を抱かないようにするためでしょう。

果たして、それは、「良いこと」なのか。

その人にとって、本当に、それが「幸せ」なことなのか。

外の世界から見ていると、どうも、疑問が湧くところ。

 

映画の中では、主人公の「ジョン・ブック」を、ハリソン・フォードが演じている。

犯人逮捕に関しては、過激な行動も辞さない、ハードボイルドな刑事。

そして、ある事件の犯人を、たまたま、母親と一緒に、町に出て来ていた「アーミッシュ」の子供が、目撃をしてしまう。

ブックは、犯人を目撃したという「アーミッシュ」の男の子「サミュエル」と、その母親「レイチェル」の二人を、強引に町に連れ出し、犯人らしき男たちの「面通し」をさせる訳ですが、サミュエルが目撃した犯人は居ない。

そして、一度、警察署に戻る訳ですが、その中で、サミュエルが、一人の男の写真を見て、その男が、犯人だということを示した。

その男は、同僚の刑事の一人。

ブックは、上司に、そのことを話すのですが、その直後、駐車場で、その犯人の刑事に銃撃され、怪我を負う。

 

警察組織を敵に回したことを知ったブックは、レイチェルとサミュエルを連れて逃亡。

二人を、彼女らの住む「アーミッシュ」のコミュニティに送り届け、自分は、更に、逃げようとする訳ですが、銃撃の怪我によって、意識を失ってします。

ブックは、そのまま、「アーミッシュ」のコミュニティの中で、しばらく、生活をすることに。

 

ここから、「アーミッシュ」に人たちが、その共同体の中で、どのような生活をしているのかということが、映画の中で描かれる訳ですが、科学文明から距離を置き、共同体の中で、自給自足の生活を送っている様子は、人間とは、本来、こういう生活を送るべきなのではないかなと思うところ。

より豊かで、より楽な生活をしたいという欲求は、人間ならば、抑えきれないものなのでしょうが、それでは、やはり、地球環境は、もたない。

 

話は変わりますが、今の社会は、地域が、地域として、生活の出来る場所では無くなって行くばかりで、寂しい限りです。

宗教団体に限らず、地域コミュニティが生きている場所というのは、重要なことだと思いますが。