ローマ・カトリック。新しい教皇が決定したということで、大きなニュースになっています。
そう言えば、以前、この本を買って、放置したまま、まだ、読んでいなかった。
この本。旧約聖書、新約聖書を、分かりやすくまとめ、解説をつけたもの。
「物語として読み通せる新旧約聖書のすべて」
と、帯に書かれている通り、とても、読みやすく、分かりやすい。
以前、新約聖書を読んだ時、「宗教書」というよりも「歴史物語」として、とても、面白いものだった。
旧約聖書も、ぜひ、読んで見たいと思ったのですが、とても、膨大で、読み通せる分量ではないようだったので、諦めた。
その頃、この本を見つけて、買ったんですよね。
しかし、そのまま、忘れていた。
取りあえず、旧約聖書の「創世記」の部分を読了。
「天地創造」
「エデンの園」
「カインとアベル」
「ノアの箱船」
「バベルの塔」
と続き、アブラハムと、その一族の物語へと続く。
アブラハムが、イスラエル民族の原点ということになる訳ですが、ここから、長い、長い、苦難の物語が始まる。
細かい物語を、一つ一つは、とても書けない。
しかし、やはり、「歴史物語」として、とても面白く、興味深いものです。
さて、ここまで読んで、気がついたことを、いくつか。
一つは、「天地創造」の物語が、中国の「老子」の世界観と、とてもよく似ていると感じたところ。
もちろん、「老子」に「神」は出て来ない訳ですが、混沌の中から、世界が生まれ、名前を付けることによって、モノが生まれる。
「老子」よりも「旧約聖書」の方が、成立が古いようなので、もしかすると、「老子」を書いた人は、この「旧約聖書」を読んでいたのかも、と、思ったりもしますが、その可能性は無いでしょう。
そもそも、「老子」というのは、諸子百家の中でも、かなり特異で、「天地創造」が記されているのは、「老子」だけではないでしょうか。
一つは、「男尊女卑」の傾向が、相当に強い印象。
神が創った最初の人間が「アダム」で、これは、「男」ということになる。
そして、神は「アダム」のあばら骨の一部から、「女」を創る訳で、これが「エバ」ということになる。
つまり、「女」は「男」の一部から創られたということ。
そして、「女」の人が、「もの」のように扱われる描写も多い。
敬虔なユダヤ教徒や、保守的なキリスト教徒の人たち。
今でも、「男尊女卑」の意識を持っているのでしょうか。
この「男尊女卑」は、「儒教」の影響を受けた東洋の社会でも同じですよね。
かつて、宗教の中に、「男尊女卑」の思想が、確かにあったということになる。
それは、やはり、太古、社会を統制していたのは「男」だったから、と、言うことになるのでしょうか。
一つは、「神」は、それを信じる人間に「幸福」をもたらすものではない、と、言うこと。
これは、かなり、意外でした。
では、「神」は、人間に、何を与えるのかと言えば、「神」の意に反したことに対する「罰」であり、「神」への信仰を試すための「試練」です。
「神」は、人間に、信仰を試すための「試練」を与えるものだとすれば、遠藤周作さんの小説「沈黙」の読み方も、また、変わって来るのかも。
そして、この「神」のイメージは、新約聖書の「イエス・キリスト」のイメージとは、大きく異なる。
ここが、キリスト教が広まった理由だったりするのでしょうかね。
さて、まだ、先は長いので、読み進めないと。