映画「学校」を観賞。

公開は、1993年。

初観賞かと思って見ていたのですが、途中で、見覚えのあるシーンが出て来て、かなり昔に、一度、観賞をしているようでしたが、観賞をしていたこと自体、すっかりと忘れていた。

当然、内容も、全く、覚えていなかったので、初観賞と同じ状況。

 

 

舞台は、「夜間中学」だったんですね。

夜間中学と言えば、以前、この本を紹介しました。

 

 

この漫画も、とても、良い漫画。

映画「学校」も、とても、良い映画でした。

 

西田敏行さん演じる「黒井」は、夜間中学の国語の教師。

夜間中学に通う生徒たちには、それぞれ、事情がある。

普通に、学校に通うことが出来ず、義務教育を受けることが出来なかった人。

しかし、「勉強をしたい」という意思を持つ人が、教育を受けることが出来る機会を設けることは必要ですよね。

そのために、夜間中学は、存在している。

 

裕木奈江さん演じる「みどり」は、いわゆる不良少女で、学校にも行かず、父親との確執で、家にも帰らず、当然、満足に勉強はしていない。

しかし、ある時、夜間中学の存在を知り、学校の前で、中に入れずに居たところ、黒井先生に声を掛けられ、夜間中学に通うことになる。

 

中江有里さん演じる「えり子」は、いわゆる登校拒否で、学校に通えなくなり、両親に付き添われて、夜間中学に来る。

黒井先生は、何も喋らず、無口な、えり子に、直接、「夜間中学に通って、勉強がしたいのか。それは、自分が決めたのか」と、意思の確認をし、えり子の口から、直接、「通って、勉強がしたい」という言葉を聞き、「夜間中学で、勉強をしたいという意思が、本人にあるのなら大丈夫だ」と、入学を認める。

 

そして、この映画の物語の中心になるのが、田中邦衛さん演じる「猪田幸男」、通称「イノさん」です。

 

物語は、この、イノさんから、葉書が来るところから始まる。

もうすぐ、夜間中学の卒業式。

イノさんは、病気で入院中だが、「卒業式には、絶対に出る」と、葉書には書いてあった。

 

そして、それぞれの生徒の回想シーンや、生徒たちのエピソードを挟み、その後、「イノさんが、亡くなった」という電話が、学校に入る。

そこから、「イノさん」「猪田幸男」の人生の話が、黒井先生の言葉と、回想シーンによって、流れる。

 

イノさんは、子供の頃、家庭の事情で、まともに、学校に通うことが出来なかった。

そのため、イノさんは、「読み書き」が出来ない。

東京に出て来たものの、当然、生活は、苦労の連続。

そして、50歳を過ぎて、「勉強がしたい」と、一念発起し、自分のような人間に、勉強を教えてくれる場所はないかと、ある人に尋ね、夜間中学に通うことになる。

 

イノさんが、亡くなる前に「夜間中学に通うことが出来て、幸せだった」と言ったという言葉を聞き、クラスメイトの、萩原聖人さん演じる「カズ」が、「50歳を過ぎて、読み書きを学ばなければならないような人生の、何が、幸せなもんか」と、反発する。

 

そこから、黒井先生は、では「幸せ」とは、何なのか、クラスで、話し合いをすることにする。

 

「幸せ」って、何なのか。

 

人生の、究極の問題ですよね。

人は皆、「幸せ」を求めて、生きている。

 

お金が、十分にあれば、「幸せ」なのか。

それとも、やりたいことが、何でも出来れば、「幸せ」なのか。

何だか、違うような気がする。

 

映画を見てから、色々と考えた結果、個人的に思うのは、「幸せ」というのは、「生きていて、良かった」と感じる瞬間ではないですかね。

誰でも「生きていて、良かった」と感じる瞬間は、「幸せ」を感じているのではないでしょうか。

 

そして、もう一つ。

 

「幸せ」というものは、その時には、なかなか、分からないものではないですかね。

随分と時間が過ぎてから、「あの時は、『幸せ』だったな」と、振り返ることが多いのだろうと思います。

 

この二つの結論からすると、「幸せ」とは、長く続くものではないということになるのかも。

その時、その時、瞬間、瞬間で、「幸せ」は、過ぎて行く。

 

映画の中で、イノさんは、50歳を過ぎて、夜間中学という場所で、仲間を見つけ、充実をした時間を過ごし、それまでの、辛く、苦しい人生が、帳消しになったということなのでしょう。

死ぬ時に、自分は「幸せ」だと思って死ぬことが出来れば、きっと、その人生は、「幸せ」だったということになるのではないですかね。

自分も、出来れば、そうありたいところです。