昔、「おくりびと」という映画が、随分と話題になりましたよね。

公開、2008年。

主演をしたのは、本木雅弘さん。

もちろん、僕も、観賞しました。

 

 

具体的な内容は、全く、記憶に残っていないので、ネットで調べてみる。

ウィキペディアを読んでいると、何となく、思い出して来たところ。

 

本木さんが演じるのは「納棺師」という仕事をしている人。

僕は、この「おくりびと」を見て、「納棺師」という仕事を、初めて、知りました。

そして、この映画の原作となった、青木新門さんの「納棺夫日記」という本も読みました。

しかし、こちちらもまた、内容は、全く、記憶に残っていないので、また、読んでみないと。

 

 

さて、この「納棺師」という仕事。

ネットで調べて見ると、主に、葬儀社からの依頼で、火葬をするまで、遺体の管理をする仕事だそう。

遺体を、生前のように、見栄え良く、整えることを仕事とする。

 

とても、重要な仕事だと思います。

 

しかし、本木さん演じる主人公の小林は、納棺師の仕事をすることになったことを、妻に言うことが出来ない。

しかし、小林が、納棺師の仕事をしているということが、次第に、周囲に知れ渡ることになり、差別的な目で見られることになる。

そして、妻もまた、小林に、納棺師の仕事を辞めるように迫る訳で、やはり、世間では、なかなか、受け入れられる仕事ではないよう。

 

やはり、「死」=「穢れ」という、日本の伝統的な意識が、社会に根付いているということなのでしょうか。

それとも、やはり、「死」に関わる仕事をするということは、外国でも、あまり、良いものと思われていなのでしょうか。

しかし、誰かが、しなければいけない仕事であることには、間違いない。

誰かが、必ず、やらなければならない、世間で必要な仕事が、なぜ、差別的な目で見られるのか。

その辺りは、個人的には、いつも、疑問に思うところです。

 

恐らく、今でも、火葬場が、近くに建設されるとなると、周辺の住民は、反対をすることになるのでしょう。

そのため、火葬場というのは、人里離れた、山の中にあるという印象です。

そして、火葬場で仕事をする人も、あまり、良い目で見られないのかも知れない。

 

しかし、身内が亡くなれば、必ず、世話にならなければならない場所。

そして、自分自身が死んだ時にも、世話にならなければならない。

 

さて、先日、NHKで放送された「ファミリーヒストリー」。

 

俳優の佐藤浩市さんのルーツを辿っていましたが、「佐藤浩市」さんが、この番組に出るということに、個人的には、少し、驚いたところ。

それは、なぜかと言えば、佐藤浩市さんの父親は、俳優の三國連太郎さんで、この「三國連太郎」さんは、以前、どこかで、「被差別身分」の出身だというのを、目にしたことがあるため。

 

もし、この話が、本当ならば、番組の中で、どう紹介をするのか。

関心を持って、見ていました。

 

三國連太郎さんの母親、つまり、佐藤浩市さんの祖母となる人。

生まれは、かなり、裕福な家だったそうですが、ある事情で、困窮することに。

そして、祖母は、広島県の呉にある家に、子供ながら、奉公に出されたそうです。

しかし、17歳の時に、その奉公先の家を、追い出されることになる。

それは、妊娠をしたためと思われる。

 

一人で、故郷の家に戻ろうとしたのだが、その途中で、ある男性に、助けられることになる。

その男性が、三國連太郎さんの父親、と、いうことになるのですが、母親が、奉公先を追い出された理由が、妊娠だとすれば、その男性は、三國連太郎さんの実の父親ではない。

しかし、父親は、母親と結婚をし、三國連太郎さんを、実の子供として育てることになる。

 

その父親は、とても、男気のある人だったそうです。

だから、困っている母親を、そのままにしておくことが出来なかったのでしょう。

そして、その父親は、桶の、ある部分を作る仕事をしていたそうです。

そして、棺桶を作る仕事もしていたそうで、その棺桶での葬儀の仕事にも関わっていたよう。

そのため、周囲から、差別的な目でみられることもあったという話でした。

 

恐らく、この話が、三國連太郎さんが被差別身分の出身だったという、昔、どこかで見た話に繋がるのでしょう。

やはり、葬送に関わる仕事は、差別的な目で見られていたということ。

そして、それは、恐らく、今でも、それほど変わらない、と、言うことになるのかも。

 

父親は、そんな仕事から抜出そうと、一時、軍関係の仕事をしていたそうです。

しかし、軍隊の中でも、厳しい差別を受けたという話のよう。

そして、この軍関係の中で学んだ、電気工事の仕事を始めたそうです。

やはり、いかに、男気のある人間でも、周囲から差別的な扱いを受けるのは、相当に、辛いことだったのでしょう。

 

三國連太郎さんは、父親の意思で、有名な進学校に通うことになったそうですが、どうも、学校生活に反発を覚え、学校に行かなくなったということ。

父親からは、激しく、暴力を伴う、叱責を受けたそうですが、それでも、自分の意思は曲げずに、学校を中退。

なんと、14歳で、船の中に隠れ、中国に密航。

それから、朝鮮半島に移り、17歳まで、職を転々としながら、生活をしたそうです。

 

日本に戻り、静岡県の沼津に腰を落ち着けると、そこで、最初の結婚をする。

そこで、女の子が生まれたそう。

佐藤浩市さんは、この話は、知らなかったそうです。

 

そして、三國連太郎さんは、妻子を別れ、大阪に移り住む訳ですが、そこで、召集令状が来る。

三國連太郎さんは、徴兵を逃れるため、九州に逃亡。

しかし、母親の通報によって、警察に逮捕され、軍隊に入れられることになる。

母親が、警察に通報をしたことに、三國連太郎さんは、強いショックを受けたようですが、母親の気持ちも分かると言っていたということ。

当時、「お国のため」に身を捧げない人が、身内に居るということは、世間で、肩身が狭い思いをすることになる。

徴兵逃れなど、もっての他、と、言うことになるのでしょう。

 

しかし、三國連太郎さんの意思の強さは、筋金入りで、軍隊に入ったものの、一度も、銃を撃つことは無かったということ。

誰に、何と言われようが、殴られようが、銃を撃つということは、絶対にしなかったという話。

 

その後も、三國連太郎さんの波瀾万丈の人生は続く訳ですが、何とも、今の時代からは想像の出来ない凄さ。

この圧倒的な経験が、俳優としての仕事に生かされている訳ですが、これは、恐らく、誰も敵わないのでは、と、思うところで、感心しました。

 

昔の人は、何とも、凄すぎる。

やはり、時代が影響しているのでしょうかね。