漫画「ドラえもん」の第8巻に「ロボットがほめれば……」という一話があります。

 

 

しずちゃんのおじさんが、有名な絵の評論家だということで、みんなで、自分の描いた絵を、そのおじさんに見てもらいます。

そして、のび太の絵は、酷評され、ドラえもんに泣きついたところ、出してくれたのが、「ひょうろんロボット」という秘密道具です。

この「ひょうろんロボット」に、絵を見せ、スイッチを押すと「イー、イー、イー」と、その絵を褒めます。

すると、周囲の人たちもまた、その絵を、素晴しく、良いものと感じてしまうというもの。

 

さて、この「絵」の「価値」というもの。

一体、誰が、どのようにして、決めるのでしょうね。

想像をすると、やはり、世間で、高名な、絵の評論家や、高名な画家が、「この絵は、素晴しい」と評価をすることで、その「絵」に価値が生まれ、その絵を描いた「画家」の評価も上がるのでしょう。

そして、一度、その「絵」に値段がつけば、その「値段」が、世間の関心を呼ぶことになる。

つまり、「絵」の「値段」が、その「評価」になるということ。

 

かつて、「浮世絵」は、日本では、単なる「娯楽」の一つに過ぎなかった。

しかし、外国で、「芸術」として高く評価をされたことで、日本でも、浮世絵は「芸術」として、評価をされることになる。

 

個人的に大好きな高島野十郎は、他者からの評価というものに、全く、関心が無かったのか、一人で、絵を描き続けた。

そのため、生前は、全く、無名。

 

 

いわゆる「芸術家」と呼ばれる人。

本業である「芸術」で生きて行くためには、自分の作り出す「芸術」を、「お金」に代えなければならない訳で、その点は、難しいですよね。

多くのお金を得ようと思えば、自分の「芸術」を、多くの人に、高く、評価をしてもらわなければならない訳で、これは、なかなか、辛いことなのでしょう。

自分が、いくら、素晴しいと思う作品を作っても、それを、世間が、評価をしてくれるとは限らない。

 

高島野十郎は、晩年は、電気も、ガスも、水道も無い小屋に住み、絵を描き続けたという話。

一体、何を考えていたのか。

 

さて、「瀬戸内国際芸術祭2025」が始まるという話。

毎回、多くの人が、訪れるようですね。

僕は、どうも「現代アート」というものが、よく分からない。

だから、全く、もって、関心が無いところ。

 

芸術は、難しいです。