大河ドラマ「べらぼう」。
当初は、場面と内容に、変化が少なく、あまり面白いものではないと思いつつ、見ていたのですが、ここに来て、なかなか、面白くなって来ましたね。
前々回では、市川隼人さん演じる鳥山検校が、幕府によって捕縛され、財産没収の上、追放処分。
そして、次回では、安田顕さん演じる平賀源内が、退場をする様子。
江戸時代、盲人には、「高利貸し」をすることが許されていました。
鳥山検校は、この高利貸しで、莫大な財産を築いた。
しかし、この、盲人による高利貸しが、目に余るということで、幕府から厳しい処分を受ける。
さて、幕末に活躍をした幕臣、勝海舟。
実は、この、勝海舟の曾祖父は、米山検校という越後国から、江戸に出て来た盲人です。
やはり、高利貸しで、大きな財産を築き、武家の株を買い、子供たちを、武家の養子に入れる。
旗本の男谷家に入ったのが、子の平蔵で、その子が、「幕末の剣聖」と呼ばれる、直心影流の剣豪、男谷精一郎。
また、子の信陵の子、小吉が、旗本、勝家の株を買って養子に入り、勝小吉となる。勝海舟の父親です。
また、今回は、杉田玄白が、少し、顔を出しましたね。
杉田玄白は「解体新書」を出版したことで有名です。
この「解体新書」が、どのようにして出版に至ったのか。
みなもと太郎さんの漫画「風雲児たち・蘭学革命編」に、面白く描かれている。
そして、雑紙「歴史街道」の今月号にも、関連記事が掲載されていました。
杉田玄白は、若狭小浜藩の藩医、杉田甫仙の子として、江戸藩邸で生まれます。
8歳から13歳までは、小浜で過ごしますが、その後は、江戸で、医学の修業をし、20歳で、藩医として、江戸藩邸で勤めます。
25歳の時には、藩医と兼任で、日本橋で、町医者として開業。
37歳の時、父が亡くなり、家督を継いで、藩主の侍医となる。
明和8年(1771)、玄白は、同じ小浜藩医だった中川淳庵から、オランダの人体解剖書「ターヘル・アナトミア」を見せられる。
これは、中川淳庵が、オランダ人の江戸の宿舎である長崎屋で見つけ、借りてきたもの。
杉田玄白は、この人体解剖書を見て、驚きます。
江戸時代、このような人体内部の図が出回っていたようですね。
それが、突然、このような図を見れば、驚くのは、当然です。
杉田玄白は、藩の家老に頼み込み、この本「ターヘル・アナトミア」を購入します。
果たして、この本に書かれている人体解剖図は、事実なのか。
ぜひとも、実際に、確かめてみたいと思っていたところ、北町奉行の家来から、「千住の小塚原で、『腑分け』をするので、希望者は、来なさい」という連絡があった。
この「腑分け」とは、人体解剖のこと。
杉田玄白は、中川淳庵や、仲間たちに、声をかけます。
その仲間の中に、豊前中津藩の藩医、前野良沢が居ました。
そして、約束の日、集合場所の茶屋に行くと、なんと、前野良沢も「ターヘル・アナトミア」を持っていた。
みんなで、「腑分け」が行われる現場に、出かけて行く。
そして、実際に、「腑分け」が行われた人体と、「ターヘル・アナトミア」を見比べて、その正確さに驚嘆する。
人体図の正確さが確認をされると、その「ターヘル・アナトミア」に書かれている文章を読みたいと思うのは、当然の話。
しかし、杉田玄白を始め、当然、誰も、オランダ語が読める訳がない。
前野良沢は、ほんの少しだけ、オランダ語を学んだことがあったので、その、乏しい知識を元に、みんなで、「ターヘル・アナトミア」の翻訳作業に乗り出すことになる。
その経緯は、「蘭学事始」に詳しい訳ですが、これに関しては、また、改めて。
とにかく、ほぼ、何の情報も無い状態から、人体解剖図という医学の専門書を、オランダ語から、日本語に翻訳をする訳で、とんでもなく、苦労をしたということは、よく分かる。
オランダ語の、一語、一語を、地道に、日本語に訳して行く。
ちなみに、この時、「腑分け」という言葉を「解体」としたそうです。
そして、大まかな翻訳が完成に近づくまでに、二年。
そして、この「解体新書」に掲載する図を描いたのが、秋田藩士、小田野直武で、直武は、あの平賀源内から、洋画の手ほどきを受けた人物。
江戸に出てからは、平賀源内の家で生活をしていたそうで、源内の内弟子のようなもの。
杉田玄白らは、「解体新書」を出版する前に、その宣伝本として「解体約図」という本を出版します。
これは、オランダの本を元にしたものを出版するに当たって、その世間の反応を見るためのもの。
ちなみに、この「解体約図」を出版した版元は、大河ドラマで、里見浩太朗さんが演じる須原屋です。
当時、娯楽本を出版する地本問屋と、学術書を出版する書物問屋の二種類があったそうで、須原屋は、後者ということになる。
この「解体約図」の出版には、幕府の反応を見る意味もあった。
オランダの本を出版することで、幕府から、何かの処分が出ないかどうか。
そして、杉田玄白は、「解体新書」を、出版前に、幕府に献上するという手を打ちます。
更に、幕府だけではなく、京都で、関白の九条家や、近衛家などにも、献上をしたということ。
そして、満を持して、「解体新書」は、出版されます。
さて、この「解体約図」、そして、「解体新書」の著者の中に、前野良沢の名前が無いことは、一つの謎のようです。
なぜ、この本の翻訳の中心人物であるはずの前野良沢の名前が、著者の中に、無いのか。
恐らく、前野良沢は、この本の出版には、反対だったと考えられるそう。
理由は、「完全な翻訳ではないから」と、言うことになるようです。
杉田玄白らは、例え、翻訳が、完璧なものではないとしても、出来るだけ早く、この本を、世の中に出すことに意味があると考えていた。
しかし、前野良沢は、「完璧でないものは、出版をしたくない」という意思を持っていた。
その意見対立から、前野良沢は、袂を分かったということになるのでしょう。
また、「蘭学事始」を、読み直したくなりました。
以前、一度、読んだのですが、内容は、あまり、覚えていないので、また、読み直さないと。