今日は、雨が降っているので、久しぶりに、市立図書館に。
すると、常山城で発掘された「瓦」の展示が、行われていました。
まずは、常山城の縄張り図。
玉野市と岡山市(旧灘崎町)の境にある常山の山頂にある、戦国時代の山城です。
この常山城を築城したのは、上野氏で、元々は、今の倉敷市真備町の辺りに勢力を持っていたようですが、延徳年間(1489~92)頃、備前国児島に移動し、常山城を築いたと考えられる。
しかし、天正3年(1575)6月、毛利氏に攻められて、落城。上野氏は、滅亡します。
その後、しばらく、毛利氏から城番が派遣され、豊臣秀吉、毛利輝元との和睦の後、常山城は、宇喜多氏に、引き渡されることになる。
そして、慶長8年(1608)、廃城となる。
本丸跡の瓦。
北二の丸。
東二の丸、惣門丸、底なし井戸。
青木丸。当時は、常山の麓は、すぐ、海だったはずで、そこで、捕って、食べたのであろうアカニシの貝殻も。
ちなみに、これらの瓦は、上野氏の時代のものではなく、岡山城に使われたものと同じ模様の「同笵瓦」が確認されていることから、石垣と共に、天正13年(1858)から、慶長4年(1599)のもとと考えられるということ。
つまり、石垣や、瓦は、いわゆる「織豊期」に作られたもの。
それ以前の常山城は、建物は、茅葺き、または、板葺きで、石垣は無かったということになる。
最も、それが、普通です。
宇喜多秀家が宇喜多家当主の時代に、常山城も、石垣と、瓦葺きの建物を持つ、近代的なものに作り替えられたのでしょう。
しかし、間もなく、廃城となる。
昔のように、復元が出来ないものですかね。
もっとも、それには、多くの資金が必要で、無理な話でしょう。