雑紙「歴史街道」の今月号。
特集は「戦艦大和と沖縄特攻」です。
とても、興味深い内容。
特集記事の最初は、「総論」ということで「戦後八十年の今、世界最大の戦艦を、どう評価すべきか」というもの。
個人的な素人考えを交えながら。
まずは「巨大戦艦は、必要だったのか」。
大和型戦艦は、当時、世界で最大、最強の戦艦でした。
しかし、太平洋戦争は、海戦の主力が、戦艦ではなく、航空母艦になってしまった。
そのため、大和型戦艦を「無用なものと作った」と、考える人も居ますが、これは、多くの本で書かれている通り、間違いです。
大和型戦艦の建造が決まった頃、世界は、まだ、海軍の主力は「戦艦」で、いかに、優れた戦艦を所有しているのかということが、その海軍の強さ、その国の国力を表していた。
そのため、日本海軍が、世界で、最大、最強の戦艦を所有しようと考えたのは、自然なこと。
ただ、今回の記事では「大和は、オーバースペックだった」と書かれています。
例えば、もし、40センチ砲を搭載するなら、四連装が三基で、12門は、搭載出来ただろうということ。
また、防御面では、46センチ砲に対する防御ではなく、40センチ砲に対する防御にすれば、重量が減り、より、速力がアップしただろうということ。
しかし、これについては、個人的に、異論が。
大和型戦艦が、なぜ、必要だったのかと言えば、やはり、その「圧倒的な攻撃力、防御力」を備えるため。
この「圧倒的な攻撃力、防御力」によって、アメリカ海軍の戦艦を打ち砕くのが、大和型戦艦の役割だった訳で、それが、40センチ砲と、40センチ砲に対する防御ということになれば、大和型戦艦の攻撃力、防御力は、敵に対して「圧倒的」では無くなってしまう。
それでは、意味が無いのではないでしょうかね。
次に、「使い時を、誤った」という話。
これは、間違いなく、そうでしょう。
戦艦「大和」、戦艦「武蔵」の、世界最大、最強の戦艦、二隻は、ずっと、後方に控えたまま、出撃をする機会が無かった。
それは、なぜかと言えば、やがて、来るであろう、アメリカ海軍の主力艦隊との決戦のため。
大和型戦艦の二隻は、この決戦のための秘密兵器だった。
連合艦隊とすれば、軽々に、大和型戦艦を、前線に出す訳には行かなかったということになる。
しかし、以前、読んだ本によれば、真珠湾攻撃が大成功に終わった時、まだ、完成前だった戦艦「武蔵」の建造を中止するべきではないかという意見もあったようで、すでに、戦艦よりも航空母艦の方が有用だという認識は、広がっていたはず。
それでも、大和型戦艦を有効に使えなかったというのは、やはり、海軍の戦略に問題があったというしかない。
ちなみに、日本海軍の戦艦が、戦艦として活躍をしたのが、ソロモン海で、戦艦「金剛」「榛名」が、ガダルカナル島のヘンダーソン飛行場を艦砲射撃。更に、戦艦「比叡」「霧島」が、アメリカの艦隊と夜間の砲撃戦で、沈没。
この時、もし、戦艦「大和」「武蔵」が、代わりに出撃をしていれば、どうなっていたでしょう。
そして、昭和20年4月、戦艦大和を含む、第二艦隊に、沖縄への特攻が命じられる。
この、「戦艦大和を、沖縄に向けて、特攻に出す」ということが、どのようにして決定したのか。
明確な記録が残っていないので、確かなことは、分からないということのようです。
しかし、通説では、海軍軍令部総長が、航空特攻について、天皇陛下に奏上した時、天皇陛下が「海軍に、艦艇は、もう無いのか」と言ったそうで、これを、海軍側が忖度した結果、戦艦大和の沖縄への特攻が決まったということになるそうです。
しかし、第二艦隊を率いる司令長官の伊藤整一は、当然、これに反対。
連合艦隊司令長官の豊田副武も、乗り気ではなく、参謀長の草鹿龍之介は、知らなかったということ。
本来、軍令部や連合艦隊は、戦争の目的を指示するだけで、戦術的なことは現場に任せ、口を出さないそうですね。
しかし、この戦艦大和の特攻については、例外だった。
参謀総長の草鹿が、第二艦隊司令長官の伊藤の説得に派遣されることになる。
個人的に、これまで、気にしたことが無かったのですが、「なぜ、戦艦大和は、昼間に、出撃をしたのか」という問題。
よく考えれば、これは、確かに、不自然ですよね。
もし、戦艦大和を、作戦通り、沖縄に到達させたいのなら、夜間に航行し、夜明けくらいに、沖縄に到達するくらが、丁度、良い。
それならば、少なくとも、アメリカ軍艦載機の攻撃を回避することは出来るはず。(もっとも、この場合、アメリカ軍は、戦艦部隊が、戦艦大和を迎撃することになるでしょう)
しかし、戦艦大和を中心とする第二艦隊は、アメリカ機動部隊艦載機の攻撃を、まともに受ける、「昼間」に、航行をしていた。
これは、なぜなのでしょう。
これは、記事に書かれてある通り、「日本帝国海軍、最後の戦いとなるばずの、戦艦大和の勇姿を、アメリカ軍に見せつける」という意図があったのだろうと想像します。
戦艦大和が、もはや、この戦いで、沈み、そして、帝国海軍、連合艦隊の戦いも、これで終わるということは、出撃をした全ての人が、認識をしていたことでしょう。
それが「特攻」というもの。
ちなみに、「特攻」で、戦死をした人は、「二階級特進」ということになる訳ですが、この戦艦大和と共に、戦死をした人たちには、この「二階級特進」は、無かったそうです。
そして、「戦艦大和に、別の使い方は、あったのか」という話。
実は、この戦艦「大和」「武蔵」は、いわば「秘密兵器」で、情報は、秘匿され、日本国民が、広く、その存在を知ったのは、戦後になってからでした。
そして、アメリカもまた、この大和型戦艦について、正確な情報は、得ていなかったようです。
記事では、この大和型戦艦の存在を公表し、「抑止力」として使うべきではなかったか、と、書かれてありました。
しかし、個人的には、これは、戦争を、「先延ばし」にする力はあっても、結局、アメリカは、大和型戦艦と同等、または、それ以上の戦艦を建造するはずで、これでは、意味がない。
つまり、日本は、結局、アメリカには勝てないということになる。
そして、「戦艦大和が、なぜ、人を引きつけるのか」という話も。
やはり、世界で、最大、最強の戦艦を、日本が建造し、保有したということ。
これは、やはり、日本人にとって、「誇り」となることでしょう。
そして、戦艦大和は「優れた能力を持っているが、それを、十分に、発揮することが出来ないまま、悲劇的な最期を迎えた」という、いわゆる「判官贔屓」の要件を備えている。
そして、単純に、「見た目が、格好良い」というのも、個人的に、引かれる理由。
さて、「戦艦大和」と「沖縄特攻」について、更に、続きます。