宮沢賢治の短編「とっこべとら子」。

いかにも、「民話」「昔話」といったお話で、宮沢賢治は、このような小説も書いていたんだなと思いました。

 

 

物語は、「昔話」によくある、キツネが、人を騙すという内容。

タイトルの「とっこべとら子」は、「おとらキツネ」のことで、この「おとらキツネ」とは、ネットで調べると、人に取り憑くキツネのことを言うそうですね。

 

この短編は、二つの話で構成されています。

 

最初の話は、金貸しをしている欲の深い爺さんが、侍に騙され、大金と思って、大量の砂利を持って、家に帰るというもの。

 

二つ目の話は、ある集まりに出ていた小吉という男が、集まりが、つまらないので、先に帰ることにする。

しかし、外にでたところで、「疫病除け」のために立てられていた「源の大将」の絵に驚き、腹いせに、その「源の大将」の絵を、道の真ん中に、立て直す。

なぜ、そんなことをしたのかと言えば、後から来るであろう、集まりの出席者を驚かせるため。

 

小吉の思い通り、集まりを終えて家から出て来た人たちは、「とっこべとら子」が、白い毛を逆立てて、こちらを睨んでいると驚き、一人が、薙刀で、その白キツネを、斬り捨てる。

そして、白キツネの死体を確かめようとしたところ、それは「源の大将」の絵で、人々は、白キツネが、「源の大将」を変わり身にして、逃げたと信じ込む。

 

この短編では、語り手である作者が、客観的な立場で登場し、話の感想を述べています。

どちらの話も、嘘ですよ、と、作者は、文中で、語っています。

 

何で、この短編、このような、面白い構造になっているのでしょうね。

取りあえず、深く考えることなく、楽しく、読むことが出来るお話です。

 

さて、個人的に、気になったのは、「源の大将」のこと。

 

注釈によると、この「源の大将」とは、「源為朝」のことだそうですね。

 

かつて、天然痘(疱瘡)などの伝染病は、「疫鬼」のせいとされ、この「疫鬼」に負けない武勇を持つ武将を、「魔除け」とする風習が、江戸時代後期に流行したそうです。

特に、赤色で絵を描いた「疱瘡絵」が有名だそうで、源為朝が流された八丈島では、疱瘡が流行らないという迷信から、源為朝が、よく描かれたということで、他には、人形に顔を描いたり、「鎮西八郎殿御定宿」という紙を貼る風習もあったそう。

 

さて、この「源為朝」という武士について。

 

かつては、その、優れた武勇で、全国的に、有名で、民衆に、人気のあった武士だったようです。

日本全国に、この「源為朝」にまつわる伝承が残っているという話。

ちなみに、滝沢馬琴の小説「椿説弓張月」も、この「源為朝」が主人公。

 

さて、史実としての「源為朝」ですが、確かな、一次史料では、限られた、断片的な記録しか残っていないようです。

 

久寿元年(1154)、九州で、源為朝が、乱行を起したため、その責任で、京都で、父の、源為義が、官職を解かれたこと。

保元元年(1156)、源為朝が、源重貞によって、捕縛されたこと。

 

この、源為朝に関する話は、主に、「保元物語」という二次史料が元になっているようで、どこまでが事実なのかは、分からない。

個人的には、この「保元物語」に書かれている源為朝の生涯は、基本的な、流れ以外、ほぼ、創作なのではないかと思っているところです。

 

確かな事実だと思われるのは、「源為義の子である」ということ。「若い時に、九州に下っていた」ということ。「『保元の乱』では、父、源為義と共に、崇徳上皇側についた」ということ。「この『保元の乱』で敗北した結果、伊豆大島に、流された」ということ。くらいではないでしょうか。

 

しかし、「武勇に優れた武士」だったというのは、事実でしょう。

そのために、歴史物語の中に、その存在が、人気者として残ったと言えるのではないでしょうか。

 

ちなみに、源為義は、当時、京都で、「源氏の棟梁」だった訳ですが、その子である、源義朝は、関東へ、、源為朝は、九州へ、若くして下ることになる。

これは、かつては、「源為義が、その子共を使って、地方に勢力を拡大する意図があった」と解釈されていたようですが、今では、どうも、そうではなく、源義朝や、源為朝は、「京都での出世の見込みが低いので、自ら、地方に下った」と考えられるようですね。

 

特に、源義朝に関しては、長男でありながら、父、源為義に廃嫡されたと考えられるようで、関東に下った源義朝は、独自に、勢力を築き上げた末に、「源氏の棟梁」の座を、実力で、父、源為義から奪い取ることになる訳で、そのことに関しては、また、別の機会に。

 

追記。

 

この「とっこべとら子」。

 

最初のエピソードが、嘘であるということを、二つ目のエピソードで、補完をしているという構造になっているということですね。

後になって、気がつきました。

つまり、「キツネに化かされた」というのは、人間の思い込みだという話。

それが、この小説のテーマでしょう。