宮沢賢治「風の又三郎」を読了。
とても、良い小説です。
この「風の又三郎」ですが、文章が、宮沢賢治らしくない印象。
宮沢賢治の他の小説の文章は、どこか、読みづらく、意味の分かりづらい雰囲気がありますが、この「風の又三郎」の文章は、非常に、上手く、整っていて、読みやすい。
まるで、商業誌に発表をすることを前提に書かれた文章のようだと思いつつ、読んでいたのですが、ネットでの解説を見ると、やはり、雑紙「児童文学」に発表しようという意図が、宮沢賢治にはあったようです。
しかし、雑紙の廃刊により、実現しなかったそう。
また、過去に、賢治自身の書いた、いくつかの作品を元にして、書き上げられたものだそうですね。
内容、文章が、非常に、よく整っているのは、そのためでもあるのでしょう。
物語は、ある村にある小学校に、「高田三郎」という少年が、転校して来る。
小さな小学校で、一年生から六年生までが、同じ教室で、学んでいる。
この、小学校の子供たちと、高田三郎の、交流の物語。
タイトルの「風の又三郎」とは、「風の神様の子」を表す名前だそうですね。
そして、小学校の子供たちは、高田三郎を、この「風の又三郎」かもしれないと思う。
普通に読んでいれば、「転校生と、地元の子供たちとの交流の物語」ということになるのですが、ネットで解説を見ていると、やはり、この物語には、込められた意味があるようですね。
僕の読解力では、普通に、物語を読んでいるだけでは、読み解くことは出来ない。
これは、三郎が転校をして来た9月3日から、また、学校を去る9月12日までの、ほんの9日間の話。
この間、子供たちは、三郎との親交を深めようとしますが、やはり、三郎は、外から来た、異質な存在に過ぎない。
子供たちが、三郎と遊んだ、最後の日、三郎は、やはり、異質な存在で、孤立をしたまま、終わってしまう。
これは、やはり、高田三郎が「風の又三郎」であったということを示唆しているように思えますが、個人的には、何となく、三郎が、可愛そうな気もしました。
この、子供たちが、三郎と遊ぶ風景。
全部、宮沢賢治の創作なのでしょうかね。
それとも、自身が、子供の頃に経験したことや、大人になってから、子供たちが遊ぶ様子を見て、参考にしているのでしょうか。
放課後、大勢の仲間たちと集まって、毎日のように野外で遊ぶという体験は、もしかすると、僕の世代が、最後かも。
僕の世代よりも下の子供たちは、恐らく、家の中で、ファミコンなどのゲームをして遊ぶというのが一般的で、何か、自分たちで、遊びを作り出したり、自然の中で、走り回って遊ぶという経験は、少ないものと想像します。
この「高田三郎」という存在が、何なのか。
色々と、説があるそうですね。
ただの転校生だった、と、言う説。
風の又三郎の化身だった、と、言う説。
高田三郎という転校生に、風の又三郎が、乗り移っていたという説。
個人的には、「ただの転校生だった」という説を取りたいところ。
その方が、物語に、現実味を感じることが出来る。
しかし、どうも、この「風の又三郎」の前身となる「風野又三郎」という作品では、明らかな、「風の精霊」として描かれているそうですね。
しかし、「風の又三郎」では、その辺りは、曖昧な状態に変化をさせている。
そこには、どういう意図があったのでしょうね。
ちなみに、一つ、気になったのは、川の魚を「発破」を使って捕るシーン。
もちろん、発破を使うのは、子供たちではなく、大人なのですが、今では、こういうことは出来ないですよね。
そして、子供たちは、「山椒」による「毒もみ」で、魚を捕ろうとするのですが、上手く行かなかった。
この「毒もみ」って、何だろうと、ネットで調べてみると、「魚にしか効かない毒を使って魚を捕る」方法だそうです。
世界中で、古くから行われていた漁法で、日本では「山椒」が使われるのが、一般的だったそう。
しかし、1951年に法律で禁止され、許可を得た人でしか、今は、出来ないそうです。
僕が、子供の頃は、近くの里山の沢のような場所で、トンボの幼虫の「ヤゴ」とか、カエルの卵など、捕って、遊んでいましたね。
今から思えば、ちゃんと、沢の中で、成長させてやった方が、良かったですが。