玉野市にある鉾立小学校。

今年度限りで、休校になるそうですね。

今、玉野市では、子供の人口が減少し、小学校、中学校の再編が、計画されている。

鉾立小学校の休校も、その一環ということになるのでしょう。

 

さて、この鉾立小学校の校舎は、1932年(昭和7年)に建てられた木造校舎で、今でも、現役として使われています。

そのため、以前から、耐震化が、問題になっていたようです。

やはり、今の時代、地震に備える耐震化の問題は重要で、玉野市にある他の学校の校舎は、耐震化が終わっているよう。

しかし、この鉾立小学校の伝統ある、古い校舎を、耐震化するというのは、なかなか、無理な話。

伝統ある校舎を潰して、新しい校舎を建てるというのも、とても、もったいない。

 

この鉾立小学校の校舎を、散歩がてら、見に行ってみました。

 

正門から、校舎を望みます。

一階建てで、とても、横に長いのが特徴です。

 

こちら、校舎の右側。

 

視線を、左に移す。

昭和7年建設の、味のある、非常に、横に長い、木造校舎が、よく分かります。

 

こちら、校舎の北側です。

良い雰囲気の校舎ですね。

 

 

伝統のある木造校舎の隣に、綺麗な、立派な建物がありますが、こちらも、鉾立小学校の施設のようです。

 

この鉾立小学校の木造校舎は、現在、岡山県の中でも、最も、古い校舎だそう。

休校になったら、この校舎は、どうなるのでしょうね。

文化的な価値があるものとして、何か別の目的で使用、または、保存されることになるのでしょうか。

 

この校舎で学んだ卒業生たちは、当時は、分からなくても、大人になってから、その価値が、分かるのではないでしょうかね。

 

さて、この「鉾立」という地名ですが、番田という地域にある小さな島「鉾島」に、神功皇后が、「三韓征伐」の時に、この島に立ち寄り、戦勝祈願のため、鉾を建てて、祈ったという伝承から、と、言われているようです。

しかし、これは、恐らく、「鉾立」という地名が先にあり、伝承は、地名を元に、創られたものでしょう。

 

鉾立小学校の児童たちは、来年度から、胸上小学校に通うことになるようです。

やはり、スクールバスで通うということになるのでしょうかね。