アニメ映画「銀河鉄道の夜」を観賞。
公開は、1985年。
この映画。
恐らく、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を映像化したものの中では、最も、有名なものなのではないでしょうかね。
そして、映画としての評価も、かなり高いようです。
個人的には、昔から、この映画の存在は、知っていたものの、そもそも、宮沢賢治に関心が無かったこと、そして、キャラクターが「猫」であるということで、どうも、リアルな感じからは離れているような気がして、見る気にはなれなかった。
しかし、最近、宮沢賢治に興味を持ち、小説「銀河鉄道の夜」が、とても良い物語だったので、見てみることに。
さて、なぜ、キャラクターが、「猫」なのか。
それは、ブログを見ている方から教えて貰いましたが、そもそもは、ますむらひろしさんの描いた漫画の「銀河鉄道の夜」が、キャラクターを「猫」として描かれているそうで、それが、映画に採用されたということのよう。
では、なぜ、ますむらひろしさんが、漫画化にあたって、キャラクターを「猫」にしたのかということは、本人の著書に経緯が書かれているようなので、そちらを。
しかし、実際に、映画を見ていると、この「猫」で、キャラクターを表現したというのは、なかなか、良い方法だったのではないかと思うところです。
アニメーションの絵柄や、キャラクターの動きが、「猫」を擬人化したことで、よくマッチしていて、この物語が「童話」であり、「ファンタジー」であるということを、説明することなく、見る人に印象付ける役割を担っているような気がする。
そして、細野晴臣さんの音楽もまた、とても、映画の雰囲気に、よく合っている。
内容は、小説の物語りを、大きく変更することなく、ほぼ、忠実に、再現をしている。
それでいて、見る人を、退屈させることが無いというのは、展開の流れが、とても良いということなのでしょう。
そして、有名な、タイタニック号の乗客が乗り込んで来る。
実は、彼らは、「猫」ではなく、普通の人間として描かれています。
これは、やはり、タイタニック号の沈没が、「現実」のことだと印象づけるため、と、言うことになるのではないでしょうかね。
タイタニック号の乗客まで、「猫」を擬人化してしまったら、タイタニック号の沈没もまた、ファンタジーの要素が強くなってしまう気がする。
その点もまた、ジョバンニ、カムパネルラが「猫」であることが、良い効果を生んでいるのではないでしょうかね。
さて、やはり、気になったのは、「鳥を捕る人」の存在。
この「鳥を捕る人」は、一体、何を意味しているのでしょう。
銀河鉄道には、基本的に、亡くなった人が乗っている訳なので、この「鳥を捕る人」もまた、「亡くなった人」と考えるのが自然なのでしょうが、この銀河鉄道の旅の中でも、仕事を続けているところからすると、また、違う気がする。
つまり、「鳥を捕る人」は、銀河鉄道の旅の世界の中で「生きている」訳で、やはり、色々な説の中の一つにあるように、やはり、銀河の中にある、何かを象徴しているのでしょうかね。
そして、もう一つ、気になるのは、やはり、「なぜ、ジョバンニは、銀河鉄道に乗ったのか」ということ。
小説を読んだ時には、軽く、読み流していたのですが、やはり、映像で見ると、印象深く感じるシーンも、いくつか。
一つは、ジョバンニが、配達されていなかった牛乳を貰いに行くシーン。
最初に、牛乳屋で、ジョバンニの応対をしたのは、老婆で、「また、後で来てくれ」と、ジョバンニに言う訳ですが、この老婆は、何者なのか。
もしかすると、ジョバンニが、銀河鉄道に乗ることに、関わりがあるのではないかと、思わない訳でもない。
そして、ジョバンニが、銀河鉄道の中で、手にしていた切符。
なぜ、ジョバンニは、周囲の人たちが驚いた、その切符を持っていたのか。
このジョバンニの「切符」が意味するところは、恐らく、「ジョバンニが、生きている」ということ。
だから、周囲の人たちが驚いた、と、言うことになるのではないでしょうかね。
そして、もう一つ、映像で見て、とても印象的だったのが、「苹果(リンゴ)」を、ある乗客から受け取り、みんなに配るシーン。
これもまた、小説では、何となく、読み流したのですが、映像で見ると、一つの「苹果」が、いくつもの「苹果」に分かれて、配られる。
これは、「新約聖書」の中に登場する、「イエス・キリスト」が、五つのパンと、二匹の魚を、五千人の群衆に分け与えるというシーンに、類似をしているような気がする。
この「銀河鉄道の夜」には、十字架、賛美歌、また、「ハレルヤ」(小説の中では『ハルレヤ』)という言葉が出て来るように、「キリスト教」をイメージするものが、多く登場しますが、実際、宮沢賢治が信仰していたは「法華経」で、やはり、物語的には、仏教の影響が出ている、と、言うことになるのかも。
宮沢賢治が、「法華経」ではなく、「キリスト教」をイメージさせる物語にしたのは、やはり、「南十字星」「北十字星(はくちょう座)」を、銀河鉄道が走ることになるからでしょう。
十字架を、仏教、「法華経」に結びつけるということには、無理がある。
個人的には、まず、小説を読んでから、映画を見たので、内容も、よく分かり、面白く、見ることが出来ました。
しかし、小説の内容を、全く、知らず、初めに、この映画を見たとしたら、また、違った印象があるのかも、と、思うところです。