飯田譲治さん原作の「NIGHT HEAD」という物語。

知っている人は、多いのではないでしょうかね。

1992年に放送された深夜ドラマが、大ヒットとなり、その後、いわゆる、メディアミックスで、様々なジャンルに進出し、それは、今でも、続いているよう。

 

 

最初のドラマが放送された当時、深夜ドラマにもかかわらず、かなりの人気で、「カルトドラマ」と呼ばれているということは、知っていました。

しかし、当時の僕は、全く、関心がなく、ドラマも見なかったし、劇場版も、見なかった。

 

なぜ、それほど、人気があるのか、不思議に思いつつ、放置していたのですが、その後、古本屋で、たまたま、デレビドラマのシナリオ本があるのを見つけて、買って、読んで見たところ、非常に、面白い。

大人気になったのが、よく分かります。

 

主人公は、豊川悦司さん演じる「霧原直人」、武田真治さん演じる「霧原直也」の二人。

二人は、兄弟で、直人が兄、直也が弟。

二人は、超能力を持ち、子供の頃から、ある施設に、隔離をされて生活をしていた。

しかし、ある時、二人は、その施設から脱走。

町の中を、さまようことになる。

 

実際に、超能力者が、社会の中に潜むと、どうなるのか。

その状況が、リアルに描かれていたと思います。

 

さて、タイトルの「NIGTH HEAD」ですが、「人間の脳は、70パーセントが、使用されていない。この使用されていない部分に、不思議な力(超能力)が秘められている」ということで、作られた言葉のようですが、この「人間の脳は、多くの部分が使われていない」というのは、昔、よく聞きました。

そして、僕も、昔は、漠然と、それを信じていたのですが、実際は、この話は俗説で、脳は、あらゆる部分が、その時々で、連携をしながら働いている。つまり、無駄な部分は、どこにも無い、と、言うことになるようです。

 

この「超能力」を扱った物語は、数多く、ありますが、それを、「ファンタジー」として捉えるのか、それとも、「リアル」に考えるのかで、大きく、内容が変わって来ますよね。

昔は、この「超能力」を扱ったテレビ番組が、色々と、放送されていましたが、最近では、全く、見なくなった気がする。

やはり、コンプライアンスの問題ということになるのでしょうかね。

真実なのか、嘘なのか、分からないようなものを放送することが出来ないということなのかも。

また、仮に、放送をしたとしたら、ネットで叩かれ、炎上することになるのかも。

それも、考慮されているのかも知れませんね。

 

さて、先日、「呪い」によって、人が死ぬと、罪に問われるのかどうかという話をしましたが、もし、「超能力」が実在をするのだとすれば、それによって、人を殺すことも可能です。

果たして、超能力によって、人を殺すと、罪に問われるのか。

これも、やはり、因果関係が証明出来ないということで、罪には問われない、と、言うことになるのでしょう。

 

この「呪い」によって、人を殺す、また、「超能力」によって、人を殺す。

こういったケースは「不能犯」と呼ばれるようです。

この「不能犯」とは、どういうものなのか。

 

不能犯とは、「行為者が『犯罪行為をする』と意図した上で、その行為の実行に着手したのだが、その行為では、結果を生じさせることは不可能な場合」を言うそうです。

この不能犯は、日本では、不可罰とされていて、逮捕されることも、処罰されることもありません。

 

つまり、ある人を殺そうと思って「呪い」をかけても、相手を殺すことは出来ないというのが、科学的な常識で、罪にはならない。

また、「自分は超能力者だ」と自称している人が、「超能力を使って人を殺した」と言っても、それは、捕まることもないし、処罰されることもない。

なぜなら、「超能力」は、科学的には、存在しないから。

 

昔、超能力者と言って、テレビに出ていた人たち。

今でも、やはり、超能力者として生きているのでしょうかね。

 

超能力にも、色々と、種類があり、個人的には、「念動力」(サイコキネシス)のような、明らかに、物理学に反するような超能力は、存在しない気がする。

しかし、「精神感応」(テレパシー)や、「未来予知」のような、感覚的なものは、もしかすると、あるのかも、と、思ったりして。