漫画「ドラえもん」の第四巻に「のろいのカメラ」という一話があります。

 

 

この「のろいのカメラ」という秘密道具。

このカメラで、人物の写真を撮ると、その人の人形が出て来ます。

そして、その人形に起こったことが、本人にも起こる。

 

ドラえもんは、のび太をいじめたスネ夫を、このカメラで撮ろうとしますが、あまりにも危険なので、ためらってしまう。

しかし、この秘密道具の使い道を知らないのび太は、カメラで、ドラえもんと、パパとママを撮影。

そして、ドラえもん、パパ、ママの人形を、他人にあげてしまい、大騒動になる。

と、言うお話。

 

同じ、藤子F不二雄さんのSF短編に「丑の刻禍冥羅」という作品があります。

 

 

この「丑の刻禍冥羅」は、このカメラで撮影をした人物の写真に、ある事をすれば、同じ現象が、被写体である本人にも起こるというもの。

未来から来たカメラのセールスマンであるヨドバが、針山という男に、このカメラを売る。

「本当なら、このようなものは売りたくないのですが、あなたなら、ほどほどに、使ってくれるのではないかと」

と、ヨドバは、針山に、言う。

針山には、子供の頃から、自分を虐げ続けている堂力という相手が居た。

「ちょっとくらいなら」

と、針山は、堂力を、カメラで写し、写真に対して、わずかな仕返しをする。

すると、同じことが、堂力本人にも起きて……。

 

どちらも、テーマとなっているのは「呪い」です。

 

この「呪い」というもの。

本当に、効果があるのでしょうかね。

昨年の大河ドラマ「光る君へ」では、この「呪い」が、大活躍をしていました。

平安時代には、この「呪い」は、本当に、効果があると信じられ、実際に、頻繁に、行われていたよう。

そして、人を呪うということは、罪にもなった。

人を呪ったということで、厳罰を受けることになる。

 

この「呪い」というのは、いつ頃まで、真剣に、人々の間で、信じられていたのでしょうね。

江戸時代の頃までは、信じられていたのでしょうか。

「呪い」というものとは違いますが、敵と戦う時に、神仏に祈祷をさせるというのも、本質的には、同じ意味を持つものでしょう。

神仏の力によって、敵を倒す。

実際に、敵を倒した後には、祈祷をした神社やお寺には、恩賞が出た訳で、効果があったと認識をされていたのでしょう。

 

現在でも、よく知られているのは「丑の刻参り」ではないでしょうかね。

この「丑の刻」とは、午前1時から午前3時くらいまでの時間。

この時間に、藁人形に、五寸釘を打ち込むというもの。

ネットで調べて見ると、奈良時代には、すでに、木製の人形に、釘を打ち込むという呪詛は行われていたようで、遺跡から発掘されているそうです。

歴史は、かなり古い。

今、一般的にイメージされる「丑の刻参り」の作法が完成したのは、江戸時代だそうです。

 

さて、人を呪ったことによって、相手が死んだ場合、罪に問われるのか。

これは、やはり、刑法の罪には問われないようですね。

因果関係を立証することが出来ないということ。

しかし、その人を呪ったという事実を相手が知り、その相手が、非常に精神的に苦痛を負ったということになれば、民事上、慰謝料が発生する可能性があるということ。

 

さて、この「呪い」が、直接的に発動されたのが「生き霊」でしょう。

生きている人間の、強い怨みが、相手に取り憑いてしまう。

こういった現象は、本当にあるものなのでしょうかね。

今でも、体験をしている人が居るのでしょうか。

 

人の「怨み」や「怨念」「呪い」など、怖いものですが、それが、他者に影響を与えることなど、科学的には、あり得ない。

しかし、そういう気持ちが、相手にあるということを知ると、良い気持ちはしないですよね。

それが、もし、自分に向けられているとしたら、更に、怖い。

 

知らないに、越したことは無いですね。