宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を、ついに、読了。
昔、一度、読み始めた時には、そもそも、宮沢賢治に、それほど、関心があった訳ではなく、冒頭を、少し、読んだだけで、挫折をしてしまった。
しかし、一連の宮沢賢治の作品を続けて読み、とても、宮沢賢治自身、そして、作品全体に、大きな関心のある今、この「銀河鉄道の夜」を読むと、とても、面白く、興味深い。
まさか、「銀河鉄道の夜」が、このような物語だったとは。
とても有名な物語。
恐らく、多くの人が、内容を知っていると思うので、ネタバレも、構わないとは思うのですが、これから、この物語を読もうと思っている人は、以下、見ない方が良いかも。
そもそも、「銀河鉄道」とは、何なのか。
この「銀河鉄道」は、亡くなった人の魂を、「あの世」へと運ぶ列車です。
この物語の中に、あの「タイタニック号」に乗っていた人たちが、途中から乗り込んで来るのは有名な話で、それは、僕も知っていましたが、まさか、これほど、深く、物語に関わって来るとは。
勝手に、オブザーバー的に、登場をするだけだろうと思い込んでいましたが、間違いでした。
しかし、もし、この「銀河鉄道」が、死者の魂を運ぶものだとすれば、なぜ、主人公の「ジョバンニ」は、「銀河鉄道」に乗ったのでしょう。
この点が、物語を読み終わり、どうも、上手く、理解をすることが出来なかったところ。
ウィキペディアを読んで見ると、どうも、ジョバンニは「幽霊」のような存在として描かれているということのようですね。
だから、「銀河鉄道」に乗ることが出来た。
そして、この「銀河鉄道」の旅で、ジョバンニは、「生きる」ということの意味を知り、現世に戻って来る。
と、言う物語と解釈をされるようですが、個人的には、やや、違和感。
違和感があるのも、当然と言えば、当然かも知れないと思うのは、この「銀河鉄道の夜」は、完成した作品ではないようですね。
少なくとも、大きく、三回の、改稿が、行われているということ。
そして、今回、読んだ、角川文庫に収録されているのは、最終稿である、第4稿ということのよう。
しかし、最終稿と言っても、これで完成したという訳ではなく、宮沢賢治には、更に、改稿をする意図があったのかも知れない。
冒頭の、ジョバンニの日常を描いた、三つの章、そして、ジョバンニが、現世に戻り、カムパネルラの死を知る場面は、この第4稿で、追加をされたものだそうで、第3稿までは、「銀河鉄道の旅は、ブルカニロ博士の実験により、主人公の見た夢」という設定になっているそう。
そして、第4稿では、このブルカニロ博士は、登場しない。
ここに、僕の感じた、違和感があるのかも。
つまり、宮沢賢治には、更に、改稿をする意図があったのかも。
さて、この「銀河鉄道」での旅の終盤に、いくつかのエピソードが、パタパタと詰め込まれた感じで、そこで、ジョバンニが、いわば「悟る」訳ですが、ここには「双子の星」や「よだかの星」といった、他の作品のエピソードも入っているので、これらを先に読んだ方が良いのかも。
もっとも、読まなくても、理解に支障は無い。
そこでは、やはり、仏教的な「自己犠牲」の精神が説かれる。
他者のために生きることこそ、人生の目的であり、幸せ。
これは「雨ニモマケズ」の詩のように、宮沢賢治の思想でしょう。
さて、一つ、気になったのは、「鳥を捕る人」の存在。
この「鳥を捕る」ことを仕事にしているという人物が、途中から、銀河鉄道に乗り、ジョバンニたちに関わる訳ですが、一体、この人は、何なのか。
わざわざ、登場させるには、何か、意図があるはずなのでしょうが、決まった説は無く、色々な解釈があるようです。
そして、「銀河鉄道の夜」といえば、このアニメが有名ですよね。公開は、1985年。
これまで、あまり、関心が無かったのですが、機会があれば、見てみたい。
面白いのですかね。
原作と、どこまで同じで、どこが違うのか。
ちなみに、この映画のオリジナルサウンドトラックは、所有しているんですよね。
細野晴臣さんが、好きなので、中古を見つけて、買ったもの。
音楽は、何だか、静かな感じで、神秘的な感じ。
映画も、そうなのでしょうかね。