宮沢賢治「四又の百合」と「ひかりの素足」について。

 

 

まず「四又の百合」について。

 

短いお話で、分かりやすく、面白い。

何だか、「今昔物語」にも出て来そうな物語です。

 

正徧知という人物が、川を渡って、やって来るという話が町に伝わって来る。

町の人たちは、みんな、この正徧知が、町に来ることを楽しみにしている。

王は、正徧知を迎えるために、町の人たちに指示を出しますが、すでに、町の人たちは、みんな、王の命令が来る前に、準備を整え始めていた。

そして、王は、大蔵大臣に、生徧知に贈るための、百合の花を取ってくるように命じる。

大臣は、林の中で、百合の花を持つ子供を見つけ、その子供から、百合の花を買う。

「その花を、どうするのか」

と、子供が言うので、

「正徧知にあげる」

と、大臣が言うと、

「だったら、やらない。僕が、やる」

と、子供が言うので、

「そうか、じゃあ、返そう」

と、大臣が言うと、

「やるよ」

と、子供が言った。

大臣は、百合の花を持って、王のところに帰る。

そして、いよいよ、正徧知が、やって来る。

 

と、言うお話。

 

子供と、大蔵大臣の、百合の花のやり取りには、何か、意味があるのだと思うのですが、僕には、読み解けない。

しかし、いわゆる「仏教説話」のような雰囲気を、前面に押し出している感じのお話です。

 

そして、「ひかりの素足」について。

 

主人公は、「一郎」と「楢夫」という二人の子供の兄弟。

二人の兄弟は、山の中にある、父親の働く炭小屋から、母親の居る家に帰ることにするのですが、途中で、吹雪に巻き込まれて、遭難。

そこから、兄弟は、「あの世」への道を、歩くことになる。

そして、一郎は、息を吹き返して、現世に戻り、楢夫は、そのまま亡くなり、あの世に行くことになる。

 

このお話もまた、「仏教説話」のような雰囲気を、前面に出した作品です。

 

宮沢賢治は、このような、ストレートに「仏教」の教えを描いたような雰囲気の作品も、書いていたんですね。

そして、この二つの作品、供に、他にも、どこかで見たような感じの小説で、その分、読みやすく、分かりやすく、面白い。

 

「ひかりの素足」という小説を読んでいると、新美南吉の「百姓の足、坊さんの足」を思い出しました。

 

 

こちら、新美南吉の童話集です。

 

「百姓の足、坊さんの足」もまた、あの世へと続く道を歩く、二人の人物が主人公。

とても、面白いお話です。