宮沢賢治「よだかの星」について。
この「よだかの星」は、宮沢賢治の作品の中でも、有名な方なのではないでしょうか。
ネットで調べて見ると、作品の評価は、かなり高いようですね。
何でも、主人公の「よだか」は、「自らの存在への罪悪感」から、自らの身体を燃やして星になる訳ですが、これが「自己犠牲」を表しているということのよう。
しかし、この作品でも、また、「貝の火」と同じく、個人的には、読んでいて、どうも違和感のあるところ。
主人公の「よだか」は、自身の容姿の醜さから、周囲に嫌われ、鷹からは、「よだか」という名前を使うなとまで、言われてしまう。
そして、周囲から嫌われ、仲間はずれにされた「よだか」は、自身が、虫を食べている、つまり、他の生き物を食べていることにも嫌悪感を持ち、死ぬこと、つまり、星になることを決意して、空に昇る訳ですが、果たして、これで、良いのでしょうか。
と、個人的には、思うところ。
この作品は、かつて、学校の教科書にも掲載されていたそうですね。
どうも、「いじめ」や「差別」は駄目だという意図で、教科書に掲載されていたようです。
何だか、暗い物語で、救いが無い印象。
そこが、個人的には、大きな違和感で、もっと、希望の持てる展開は無かったのかとも思うところ。
しかし、悲しい物語としては、「フランダースの犬」とか「マッチ売りの少女」などもありますよね。
どちらも、悲しい展開で、悲しい結末。
これは、これで良いということなのでしょうが、やはり、希望がある物語の方が、僕は、好きです。