宮沢賢治の作品を、続けて。
この本を読み始めました。
最初に掲載されている作品が「おきなぐさ」です。
やはり、とても、読みづらい。
なぜ、読みづらいのかと言えば、宮沢賢治の作品は「平仮名」が、多く使われている。
これが、読みづらい理由の一つ。
恐らく、子供に読んでもらおうと、宮沢賢治は、平仮名を多用しているのでしょう。
しかし、内容は、やはり、子供が読んで、理解の出来るものとは思えない。
そもそも、「おきなぐさ」って、何だろうと、ネットで検索し、写真を借りました。
こちらが「おきなぐさ」の写真です。
主人公の「私」と、「おきなぐさ」についての、蟻との会話。
そして、「おきなぐさ」は、空を見上げて、雲について、話し出す。
そこに「ひばり」が降りて来る。
そして、二ヶ月が経ち、春が来る。
「おきなぐさ」=「うずのしゅげ」の、二つの花は、ふさふさとした銀色の房に変わって、今にも飛び出しそうになっている。
そこに、また、「ひばり」が降りて来る。
風に乗り、「うずのしゅげ」の銀毛は、北の方に飛んで行く。
「ひばり」は、短い歌を歌い、別の方向に、飛んで行った。
なぜ、「ひばり」は、「うずのしゅげ」の銀毛と同じ方に飛ばなかったのか、私は、考える。
それは、二つの「うずのしゅげ」が、「たましい」となって、天に、登って行ったから。
「ひばり」は、その「うずのしゅげ」の「たましい」に追いつくことが出来ず、みじかい別れの歌を歌ったのです。
そして、「うずのしゅげ」の、二つの「たましい」は、小さな、二つの「変光星」となった。
なぜなら、「うずのしゅげ」は、赤くも、黒くも見えると蟻が言ったように、「変光星」も、ある時は、黒く、ある時は、赤く、光るから。
さて、物語は、以上なのですが、注釈を読んでいると、面白い話が。
まずは「おきなぐさ」について。
この「おきなぐさ」は、漢字にすると「翁草」です。
この「翁」とは、老人のこと。
これは、花が咲いた後、花柱が、白い髭のように、長く伸びるからだそうです。
そして、「変光星」について。
この「変光星」とは、光度が、一定周期で変化をする星で、膨張と収縮を繰り返す「赤色巨星」の場合と、二つの星が連なる「連星」の場合があるそうです。
宮沢賢治は、前者の「赤色巨星」を想定していたのだろうということ。
つまり、花が「老いる」のと、星が「老いる」のを掛けている。
太陽のような、恒星は、核融合によって、燃えています。
そして、核融合をする物質が無くなって来ると、中央部分では、重力によって収縮が始まり、逆に、外層部分では、その重力のエネルギーで核融合が加速され、そのエネルギーは、重力による収縮を上回り、恒星は、膨張して行くことになる。
この時、恒星の表面温度は、低下をするため、恒星は、赤く見えます。
これが「赤色巨星」です。
ちなみに、太陽よりも、約8倍以上、重い質量を持つ恒星は、「超新星爆発」を起すことになります。
この物語を読んでいると、この「変光星」の話が登場するラストは、どうも、唐突で、それ以前の話の流れからすると、違和感がある気が、個人的には、しています。
宮沢賢治が、童話を書いたのは、法華経を教えを、子供たちにも広めようという意図があったとか。
この物語にも、何か、込められた意味があるのでしょうかね。