森永卓郎さんの本から、もう一つ。

こちらの本について。

 

 

この本は、確か「ザイム真理教」に続いて、出版されたもの。

こちらもまた、本屋で、パラパラと、立ち読みをしたのですが、財務省のこと、日本経済のことは、もちろん、ジャニーズ事務所の話や、あの、日航123便についての話も、書かれていました。

 

昭和60年(1985)8月12日。

東京から、大阪に向かっていた旅客機「日航123便」が、事故によって、墜落をした。

乗員乗客524人のうち、520人が亡くなった、大きな事故。

単独機の事故としては、史上、最も、多い犠牲者を出したということになるそうです。

 

事故原因は、確か、機体の後部にある圧力隔壁の破損。

この機体は、以前、滑走路で、尻餅事故を起していたようで、その時に、破損をしていたのが、気づかれることなく、飛行中に、この圧力隔壁が破裂し、その衝撃で、垂直尾翼が吹き飛び、機体の制御か利かなくなった。

 

そして、日航123便は、群馬県の山中に、墜落する。

 

実は、この「日航123便」の墜落事故には、いわゆる「陰謀論」のようなものが、昔から、存在しているようですね。

この「陰謀論」は、相当に、厄介で、基本的には、あり得ないことなのですが、なぜか、この「日航123便」の問題に限らず、信じている人が多いよう。

アメリカでも、トランプ支持者の多くが、この「陰謀論」を信じているという話。

やはり、「自分は、社会の出来事の『裏』を知っている」ということで、「自分は、『真実』を知っている」と、錯覚しているのでしょうかね。

 

森永さんが書いている「日航123便」に関する話は、ネットのホームページにも書かれていたので、読んだのですが、個人的には、信じがたい。

以下、記憶に基づき、内容を記します。

 

一つは、垂直尾翼が失われた機体の破損は、自衛隊機から発射されたミサイルが命中したのではないかということ。

例えば、旅客機の航路近くで、演習をしていた自衛隊戦闘機の発射したミサイルが、誤って、旅客機「日航123便」に命中してしまったというもの。

 

その根拠として挙げられているのが、この、操縦不能となった日航123便を、自衛隊の戦闘機が追尾しているのを目撃した人が居るというもの。

 

そして、当初、日航123便は、厚木基地に着陸をしようとしていたそうですが、それが、拒否されたという話。

 

そのため、日航123便は、空を飛び続けることを余儀なくされ、群馬県の山中に墜落をした。

しかし、その墜落現場の発見が遅れたということ。

そのため、救助が遅れたということになる訳ですが、森永さんによれば、墜落直後に、アメリカ軍は、すぐに場所を特定し、救助活動を申し出たのですが、日本政府が、それを拒否したということ。

 

なぜ、日本政府は、アメリカ軍の申し出を拒否したのか。

 

それは、自衛隊機のミサイルが、日航123便の墜落の原因だということを隠すため。

 

そして、墜落現場に到着をした自衛隊は、証拠の隠滅工作を行うことになる。

 

この「自衛隊機のミサイルによって墜落した」という事実を隠すため、日本政府は、ボーイング社に「圧力隔壁の破損」つまり「修理ミス」によって、機体が墜落をしたことにしてもらうことを交渉。

そして、ボーイング社に、この交渉を承諾してもらうため、日本政府は、アメリカ政府と、ある経済的な取り引きをしたという話。

 

果たして、このような「陰謀論」が、本当に、事実なのかどうか。

個人的には、とても、事実だとは思えない。

 

しかし、墜落現場に、救助に入るのが遅れたというのは、事実のようですね。

昔、テレビで見た記憶があります。

 

この事故で、奇跡的に、命があったのは、4人。

しかし、墜落直後には、他にも、生きていた人が、何人か居たという話だったと思います。

もしかすると、もっと早く、救助に駆けつけていれば、命が助かった人が居たのかも。