宮沢賢治の「注文の多い料理店」では、賢治の、生前、唯一、出版された童話集ですが、売れなかったという話。

なぜ、売れなかったのでしょう。

 

 

この文庫本には、童話集「注文の多い料理店」について、詳しい、解説が載っていますが、この「注文の多い料理店」が売れなかった理由の一つに、かなりの豪華本であり、かなり高価だったという原因があるそうですね。

つまり、一般庶民が、気軽に買えるような本ではない。

 

この童話集「注文の多い料理店」の製作には、賢治は、相当のこだわりを持っていたようですが、やはり、本は、売れなければ、仕方が無い。

 

賢治は、童話集を、12巻、出版する予定だったようで、この「注文の多い料理店」は、その第1巻となるはずだった。

しかし、「注文の多い料理店」が売れなかったため、第2巻以降は、出版することが出来なかった。

 

さて、童話集「注文の多い料理店」には、冒頭に「序」がついています。

もちろん、宮沢賢治が書いたものですが、とても、良い文章です。

 

「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃色のうつくしい朝の日光をのむことができます。」

 

この冒頭の一文は、とても、印象的ですよね。

宮沢賢治の独得な言葉の感覚。

この「序」自体が、詩を読んでいるよう。

 

さて、この文庫本には、この童話集「注文の多い料理店」の出版にあたり、賢治が作った「新刊案内」のチラシの文章が掲載されています。

 

この「新刊案内」の文章は、とても難しく、子供を対象として書かれたものでないことは、明らかです。

果たして、この難解な文章を読んで、童話集「注文の多い料理店」を買ってみようと思う人が居たのだろうかと、疑問に思うところ。

 

この「新刊案内」の文章の中にも「心象スケッチ」という言葉が出て来ます。

 

「この童話集の一列はじつに作者の心象スケッチの一部である」

 

と、書かれています。

 

この「心象スケッチ」とは、どういう意味なのか。

以前から、気になっていたんですよね。

宮沢賢治のファンの人は、当然、知っていることなのでしょうが、この本の注釈を見て、個人的に、初めて、その意味を知りました。

 

宮沢賢治は、仏教の「輪廻転生」を信じていたそうですね。

つまり、命は、延々と、生まれ変わりを続けるもの。

 

そのため、人間の「心」は、「過去から受け継がれて来た無数の生物の記憶の集積」と賢治は、考えていたそうです。

 

つまり、個人の「心」の中には、あらゆる生物の心が詰め込まれている。

 

その「心」に起こる現象を記録すること。

それが「心象スケッチ」です。

 

そして、この「心象スケッチ」が、個人の心が、あらゆる生物の心の集合体であることの証明となり、世界が一つの心を持つという理想世界に近づく手段だと賢治は、考えていたそうです。

 

この「心象スケッチ」の注釈を読んで、個人的に大好きな詩集「春と修羅」の「序」に書かれてあることが、何となく、理解出来るようになりました。

 

一見、謎解きのように見えた、あの文章にも、やはり、深い意味があったということ。

 

なかなか、面白い。