宮沢賢治「注文の多い料理店」から「月夜のでんしんばしら」について。
この「月夜のでんしんばしら」。
何だか、とても、面白い、良い感じのお話です。
主人公は、恭一という少年。
恭一が、夜、線路に沿って歩いていると、その線路に沿って並んでいる電信柱が、突然、軍隊のような行進を始めた。
規則正しく、音頭を取りながら、恭一の横を歩いて行く電信柱たち。
そして、そこに登場したのが、「電気総長」を名乗る老人で、電柱の行進のリーダーらしい。
様々な電信柱たちが、行進をして行く。
電気総長の老人は、行進を見ていた恭一に「友達になろう」と話しかける。
恭一は、電気総長の老人から、様々な電気の話を聞く。
そこに、汽車が、走って来た。
電気総長の老人の合図で、電信柱は、行進を止め、元の電信柱に戻る。
汽車は、石炭を焚いて走る。
客車の電気は、消えていて、真っ暗だった。
それを見た電気総長の老人は、電車の下に潜り込む。
すると、客車の中の電気がつき、小さな子供が、喜んだ。
そして、汽車は、停車場の到着する。
さて、この物語を読んでいて、疑問が、一つ。
線路に沿って、多くの電信柱が並んでいる。
その立ち並んだ電信柱を、軍隊の行進に見立てている訳ですが、当時、列車は、電気で動く「電車」ではなく、石炭と炊いて走る「汽車」ですよね。
この「汽車」が走っていた時代にも、やはり、線路の横には、電信柱が、立ち並んでいたのでしょうか。
そして、物語の中にあるように、夜に汽車が走る時、客車の中の「明かり」は、どうなるのでしょう。
客車の中に、電気があるとは思えない。
やはり、ランプか何かで、明かりを取っていたのでしょうか。
また、「熱力学第一法則」(エネルギー保存の法則)と「熱力学第二法則」(エントリピー増大の法則)にも、少し、触れられていましたね。
それと、電気の黎明期、電報を、電信柱にかけたという逸話も。
この「注文の多い料理店」が出版されたのは、大正13年12月ということ。
この頃、日本の電気事情は、どうだったのでしょうね。