宮沢賢治「注文の多い料理店」から「烏の北斗七星」について。
この「烏の北斗七星」という物語。
とても、奇妙なお話です。
何が奇妙なのかというと「戦争」を、前面に押し出した物語である点。
なぜ、宮沢賢治は、このような物語を書いたのでしょう。
この物語を、今の子供が、興味を持って読むとは、とても思えない。
しかし、かつて、戦前、戦中の子供たちは、藤子不二雄A「少年時代」や、水木しげるさんの自伝漫画を読んでも分かるように、自分たちのグループを「軍隊」に見立てた、「軍隊ごっご」「兵隊ごっこ」を、当たり前のように、頻繁に行っていたようなので、むしろ、当時の子供たちには、抵抗なく読める物語だったのかも知れない。
物語は、烏の集団を、軍隊になぞらえたもの。
烏たちは、「人」であると同時に、艦隊を編成する「軍艦」でもある。
この烏の軍隊は、敵である山烏の軍隊と戦争をして、見事、勝利をする。
そして、敵の死骸を葬り、また、新たな演習が始まる。
何で、宮沢賢治が、このような物語を書いたのか。
何か、隠された意図があるのでしょうが、個人的には、どうも、よく分からない。
しかし、一つ、とても、共感できる烏のセリフが、物語の終わり近くに登場します。
「どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように。そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまいません」
戦争で、最前線に立たなければならない兵士の多くが、敵が憎いという訳ではないでしょう。
国家の命令だから、敵を殺さなければならない。
指導者の命令だから、殺さなければならない。
そして、最前線に出た兵士は、自分が殺されないために、敵を殺さなければならない。
また、自分の愛する人を守るために、敵を殺さなければならない。
そして、殺された側には、憎しみが生まれる。
憎しみによって、人を殺せば、殺された側には、また、憎しみが生まれる訳で、それは、際限が無い。
それは、どこかで、断ち切らなければ。