映画「PERFECT DAYS」を観賞しました。

公開は、2023年。

 

 

この映画が公開される時、「何で、この映画が製作されたのだろう」と疑問に思ったんですよね。

 

主人公を演じるのが、役所広司さんで、監督が、ヴィム・ヴェンダースというドイツの人。

そして、主人公が演じるのが、公共のトイレの清掃をする仕事をしている人。

 

この、三つの組み合わせが、どうも不思議だった。

 

ウィキペディアで調べて見ると、そもそものきっかけは、日本財団のプロジェクト「THE TOKYO TOILET」の活動のPRのため、短編のオムニバス映画を作ろうというのが最初。

監督に、ドイツ人のヴェンダースが選ばれたのは、監督が、小津安二郎のファンで、小津安二郎の事績を辿る映画を制作したりして、日本とのゆかりの深い人物だったから、と、言うことのようです。

 

そして、依頼を受けたヴェンダース監督は、元々、短いアート作品を制作するつもりだったそうですが、色々と、日本滞在中に感銘を受け、長編映画として再構想。

高崎卓馬さんの協力を得て、オリジナルの物語を書き下ろしたということ。

 

さて、映画の内容ですが、公共トイレの清掃を仕事にしている役所さん演じる主人公「平山」の日常が、淡々と描かれている。

こういう、何気ない日常を、淡々と描いている映画は、個人的には、大好きで、この映画も、とても、良い映画でした。

 

しかし、映画に、エンターテイメントや、物語の面白さを求める人には、不評なのではないかと思います。

 

映画は、概ね、高い評価を得ているそうですね。

しかし、中には、「低廉労働を美化している」という批判もあるよう。

 

この「低廉労働を美化している」という批判は、個人的には、気になるところです。

 

この「低廉労働」とは、いわば、「低賃金」の仕事。

恐らく、社会の中では、あまり良い仕事とは思われていない。

しかし、様々な事情で、そういう「低廉労働」に従事せざるを得ない人は、多いものと思います。

そして、その、社会から評価をされない「低廉労働」も、誰かが、やらなければならない仕事であることには、違いない。

 

僕もまた、精神的、身体的な理由で、いわゆる高卒、大卒の人が就くような「まともな仕事」に就くことが出来ず、ほぼ「低廉労働」に近い仕事をせざるを得ない。

しかし、自分なりに、一応、映画の中の平山のように、真面目に仕事をしているつもりで、その「低廉労働」に「真面目」に取り組んでいる人を描くことが「低廉労働を美化している」と批判されれば、自分の生き方を、否定されているようで、辛い気持ちが起こる。

 

映画の中で、平山が、なぜ、公共トイレの清掃の仕事をしているのか、詳しいことは語られない。

しかし、物語の途中で登場する、麻生祐未さん演じる平山の妹の様子からして、平山が、かなり裕福で、社会的地位のある家に生まれたのだろうということは、察することが出来る。

 

恐らく、平山の父親は、政治家か、大企業の経営者か。

そして、平山は、恐らく、長男で、父親の跡継ぎとして、父親に、かなり厳しく教育をされ、成長をして行く中で、父親との確執は、頂点に達し、家を出たのだろうと想像します。

 

平山は、他人と接することが、あまり得意ではないようで、無駄なことは、ほぼ、喋らない、無口な男。

そのため、家を出た後も、いわゆる「まともな会社」で「まともな仕事」をすることは出来なかったのではないでしょうか。

 

そして、たどり着いたのが、公共トイレの清掃の仕事だったのでしょう。

 

そして、平山は、毎日、その仕事に、真面目に、懸命に、取り組んでいる。

 

住んでいる部屋にテレビは無く、携帯は、ガラケー。

音楽を聴くのは、カセットテープ。

小説を買うのは、古本屋。

 

平山は、まるで、時代に、取り残された人。

そして、一般の人から見れば、社会から「落ちこぼれた」人ということになるのかも。

 

しかし、それでも、自分なりに、日々の、些細な楽しみを見つけながら、真面目に生きている。

 

この映画は、やはり、主人公を演じるのが、役所広司さんだから、成り立っているという部分もあるのかも。

確か、この映画で、役所さんは、カンヌ映画祭で、主演男優賞を受賞しているんですよね。

とても、良い演技で、とても、良い存在感。

一人の男が、そこで「生きている」ということが、実感を持って、感じられる。

 

この映画を、素晴しいと感じる人は、お金持ちで、自分のタイムスケジュールから逃れたいと思っている人たちではないか、と、言う批判もあるようですが、確かに、自分自身が、生活に困窮している人が、この映画を見て、感動をするという訳には行かないのかも知れない。

しかし、それは、また、別の問題。

映画自身とは、関係の無いところだろうと思うところです。