小学校六年生の時、初めて「日本史」というものを学校の授業で習う訳ですが、その時から、ずっと、疑問に思っていることがありました。
それは、縄文時代に、広く、行われていたという「抜歯」という風習について。
この本によると、「抜歯」は、縄文時代晩期の遺跡から、多く、発見され、どうも、人生における「通過儀礼」の一つだったようだということ。
この「抜歯」のされ方には、いくつものパターンがあり、それぞれ、儀礼としての意味が違っていたようだということ。
一説には、上顎の左右の犬歯、または、左右、どちらかの第二切歯を抜くのは、大人になった儀礼のようだとか。
結婚をしたら、下顎の左右の犬歯、または、真ん中の切歯、四本を抜くという儀礼もあったようです。
他にも、妊娠、出産や、近親者の死によっても、抜歯は、行われていたらしいよう。
中には、上下の歯が、10本も抜歯されている骨も見つかっているそうです。
ネットで、更に、詳しく、「抜歯」について、調べてみる。
どうも、この「抜歯」という風習は、旧石器時代から、現代に至るまで、アフリカや東アジア、オセアニアで、広く行われ、シベリアや、アメリカにまで、広がっていたそうです。
そして、日本で、流行が始まるのは、縄文時代中期の終わりからで、後期から晩期にかけて、大流行をしたよう。
大体、13歳から16歳くらいの人骨から、抜歯が見つかっているので、やはり、基本的には、成人になるにあたっての通過儀礼だろうということ。
抜歯の状況と、副葬品とを関連させると、上顎の犬歯2本と、下顎の切歯4本を抜く抜歯をしている人は、優位な立場にある在地者だろうということ。
上顎と下顎の犬歯4本を抜いている抜歯をしている人は、その土地の者ではなく、移入者と考えられるようです。
やはり、「抜歯」とは、「外見で、その人が、どういう立場の人なのかと判断する手段」として行われたと考えるのが、自然なのでしょう。
それにしても、子供の頃から、どうしても消えない疑問。
「なぜ、わざわざ、健康な歯を、非常な、苦痛を伴うにも関わらず、抜いてしまうのか」
一般的には、やはり、「抜歯の苦痛に耐える」ということを、通過儀礼として考えていたのだろうということのようですが、個人的には、どうも、納得が出来ない。
「苦痛に耐える」ということが必要ならば、他に手段は、あるはずで、生きて行くために「食事をする」ということに、最も、重要な「健康な歯」を、わざわざ、抜くというのは、どうも、理解出来ないんですよね。
何か、他に、歯を抜かなければならない、特別な理由があったのだろうと思うのですが、その理由というのが、何とも、思いつかない。
まず、抜かれるのは、「犬歯」であり「切歯」であるというのが、気になるところでもあるのですが、これは、何か、意味があるはずなのですが、その意味とは、何でしょうね。
ネットを見ていると、「歯」についての専門家である歯医者さんが、面白い考察をしていました。
縄文人のように、成長期に、上顎の犬歯2本を抜くと、その後、どうなるのか。
実は、この「犬歯」という存在は、その奥にある「臼歯」たちを、歯ぎしりから守るという役割があるそうです。
つまり、犬歯を抜いてしまうと、この臼歯が、直接、「歯ぎしり」による圧力に晒され、摩耗が、極度に進むそうです。
その歯科医の考察によれば、この「すり減った臼歯」を使うことによって、「動物の皮をなめす」という作業が、やりやすくなったのではないかということ。
もし、この考察が、正しいものだとすれば、もしかすると、最初は、「動物の皮をなめす」という実用的な理由から始まった「抜歯」が、間もなく、「儀礼的な風習」に変化をして行ったのかな、と、思うところです。