最近、貝塚巡りをしていたので、そういえば、以前、縄文時代の本を買ったことがあったなと、本棚から出して、読み返すことに。

一度、読んだはずなのですが、全く、内容は、頭の中から、消えていました。

 

 

とても、読みやすく、分かりやすく、縄文時代の様々なことが書かれていて、とても、興味深く、面白いです。

 

そもそも、「縄文時代」とは、いつ始まり、いつ終わったのか。

 

土器の出現をもって、縄文時代の始まりとするなら、約1万6500年前。

気候が温暖化を始め、土器が広く普及した時とするなら、約1万5000年前。

気候が温暖化をし、定住生活が始まる時とするなら、約1万1500年前。

と、言うことになるそうです。

 

いずれにしても、1万年を遙かに超える昔から、縄文時代は、始まっていたということ。

では、縄文時代が終わるのは、いつかなのか。

これは、どうも微妙で、はっきりとしないというのが、現状のようです。

明確に、弥生時代と縄文時代の境目を作るのは難しいということ。

 

縄文時代は、

 

「草創期」(1万6500年前から、1万1500年前まで)約5000年間。

旧石器時代から、縄文時代に移り変わる時期。

 

「早期」 (1万1500年前から、7000年前まで)約4500年間。

気候が温かくなり、定住が始まる時期。

 

「前期」 (7000年前から、5470年前まで)約1530年間。

気候が、最も、温暖化し、「縄文海進」が進み、台地の上を居住地点として、規模の大きな集落が作られ、縄文文化が、花開くことになる時期。

 

「中期」 (5470年前から、4420年前まで)約1050年間。

大型の集落が形成される地域もあり、全国で26万を超える人が居たと考えられる。よく紹介される、派手なデザインをした縄文土器や、妊産婦を模した土偶が、多く作られた時期。

 

何だか、不思議な土器ですよね。実用的とは思えない。

 

妊婦を模した土偶。やはり、安産、子孫繁栄を祈ったのでしょうかね。

 

「後期」 (4420年前から、3220年前まで)約1200年間。

気候的に冷涼となる時期があり、社会構造や精神文化に、変化が起こる時期。墓の様子などから、単純な平等社会とは、異なった状況が見られるようになる。

 

「晩期」 (3220年前から、2350年前まで)約870年間。

東北で「亀ヶ岡文化」が発達した時期。「亀ヶ岡式土器」「遮光器土偶」などを生み出した文化で、この時期を、全国的に、縄文晩期とする。

 

亀ヶ岡式土器。何だか、イメージが、縄文時代的ではないですね。

 

遮光式土偶。まるで、宇宙人のようですね。

 

に、分かれます。

 

ちなみに、灘崎にある「彦崎貝塚」は、前期から晩期にかけて形成されたもの。倉敷にある「羽島貝塚」は、前期を中心に、形成されたもの、と、言うことのよう。

 

さて、この「縄文時代」の「縄文」とは、土器に付けられた「縄」の模様のこと。

 

土器の表面に、縄を押しつけ、くるくると回転させることで、付けられた模様です。

 

この土器にも、縄の模様が付けられていますね。

 

なぜ、縄文時代の人は、土器に「縄」の模様をつけたのか。

はっきりとしたことは、分からないということだそうです。

 

いくつかの説が考えられるそうで、

 

一つは「滑り止め」にしたという説。

しかし、全ての土器に、縄文が付けられている訳ではないので、不十分ということ。

 

一つは「信仰のため」という説。これは、縄で模様をつけることで、土器の中に霊性を封じ込める意図があったのではないかということ。しかし、これは、検証の仕様が無いので、何とも言えない。

 

一つは「単なるデザインに過ぎない」という説。つまり、たまたま、縄があったので、それで、模様をつけたということ。他にも、貝殻やヘラで模様をつけれられた土器もあるので、妥当かとも思われる。

しかし、この「縄文」には、様々な種類があり、その「縄文の発達」という面の説明は出来ないということ。

 

さて、縄文時代の話は、まだ、続きます。