最近、新聞のローカル記事で、「宇喜多直家・秀家を大河ドラマに」と活動をしている人たちの記事を、よく見かけます。
恐らく、こういう活動をしている人たちは、全国各地に、たくさん、居るのでしょう。
「地元の英雄、有名人を、大河ドラマに」
と、活動をすることで、何か、影響は、あるのでしょうかね。
そもそも、大河ドラマの主役を誰にするのかって、誰が、どのようにして決めているのでしょうね。
個人的には、この「宇喜多直家」を、大河ドラマの主人公にするのは、今のところは、反対です。
なぜなら、やはり、宇喜多直家と言えば「梟雄」というイメージが、未だに、世間に根強い。
それは、この「備前軍記」という、江戸時代に書かれた軍記物の記述が、元になっている訳で、個人的には、この「備前軍記」に書かれた、宇喜多直家についての逸話の多くが、史実ではなく、創作だと考えているので、それを、ベースに、大河ドラマとして放送され、そのイメージが、世間に、更に、根付いてしまうのが、どうも、嫌な気持ちがする。
この「備前軍記」が書かれたのは、安永3年(1774)で、書いたのは、土肥経平という岡山藩士。
恐らく、内容は、著者の創作という訳ではなく、この「備前軍記」が書かれた頃には、そのような宇喜多直家に関する創作逸話が、世間に広まっていたのだろうと思います。
著者の土肥経平は、それを元に「備前軍記」を、「正しい歴史」と認識をして、書き記したのでしょう。
果たして、宇喜多直家は、浦上宗景の家臣だったのか。
そもそも、宇喜多直家は、謀略を駆使して、のし上がったのか。
個人的には、やはり、宇喜多氏は、独立をした国人領主で、備前国守護代だった浦上氏には、軍事的には、従属するものの、独自の勢力を保っていたのだろうと思っています。
そして、次第に、宇喜多直家は、浦上氏の家臣としてではなく、自身の才覚によって勢力を拡大し、ついに、浦上氏の力を凌駕し、備前国から、浦上氏を追い落としたのでしょう。
その間、多少の謀略はあったでしょうが、「備前軍記」に書かれたような、如何にも「絵に描いたような」謀略では無かったものと思います。
それは、宇喜多直家に限らず、どの戦国大名も同じでしょう。
もっとも、この個人的な考えが、史実なのかどうかは、確かな史料が無いので、分からない。
さて、「戦国大名を大河ドラマの主人公に」という話では、何と言っても、まず、第一候補に挙がるのは「長宗我部元親」ではないでしょうかね。
恐らく、地元、高知には、「長宗我部元親を大河ドラマの主人公に」と活動している人たちも居るのではないでしょうか。
歴史ファンの投票でも、この「長宗我部元親」は、「大河ドラマの主人公にしてもらいたい戦国大名」の第一位のようで、個人的には、なぜ、この「長宗我部元親」を主人公に、大河ドラマを作らないのかという方が、不思議です。
この「長宗我部元親」を主人公にした司馬遼太郎の小説がありますよね。
それが、こちら。
この本、昔、読んで、とても面白かった。
しかし、この小説を原作にして、大河ドラマを作るということになると、やはり、問題が多いものと思います。
それは、やはり、「史実との乖離」です。
いくら、面白い物語だと言っても、あまりにも、今の定説、史実と、明らかに違うものだと、やはり、多少、歴史を知っている、歴史ファンは、興ざめをするということになるのかも。
例えば、同じ、司馬遼太郎の小説で、昔、大河ドラマにもなった「国盗り物語」。
この小説も、昔、読んで、とても、面白かったんですよね。
斎藤道三、織田信長、明智光秀の物語だったと思いますが、この「斎藤道三」という人物。
昔は、「一代で、油売りから、美濃国の国主になった」と言われ、小説でも、そのように描かれていますが、今では、この「油売りから国主へ」という道のりは、親子二代での出来事だったということが分かっている。
また、北条早雲を描いた「箱根の坂」。
この小説、いつか、読もうと思っているうちに、読まないままになってしまった。
かつて、北条早雲は、「伊勢出身の浪人」で、確か、伊豆国に侵攻を始めた時には、60歳を過ぎ、亡くなったのは、80歳過ぎと言われていたんですよね。
恐らく、この小説でも、この説が取られているのではないでしょうか。
しかし、今では、北条早雲、こと、伊勢新九郎は、備中伊勢氏という名門の出身で、室町幕府将軍の側近も務めた、エリート幕臣だったことが分かっている。
また、年齢も、通説よりも、20歳くらい、若いのではないかという説が有力のよう。
この「北条早雲」もまた、恐らく、どこかで、大河ドラマの主人公にと活動をしている人たちが居るのでしょうが、この「箱根の坂」を原作するのは無理でしょう。
個人的に、大河ドラマの主人公にしてもらいたいと思っているのが「大友宗麟」です。
恐らく、この「大友宗麟」もまた、大河ドラマの主人公にと、活動をしている人たちが居るのではないでしょうか。
しかし、この「大友宗麟」もまた、宇喜多直家と同じく、今に伝わる話の多くが、創作ではないかと個人的には、思っているところ。
この本、大友家の歴史と、大友宗麟(義鎮)について、事績が書かれている訳ですが、どうも、大友宗麟の人生を知るには、なかなか、イメージがつかみづらいと思ったところ。
しかし、他に、なかなか、「大友宗麟」を知るための一般書が無いのが、残念。
ちなみに、岡山県では、もう一つ、「山田方谷」を大河ドラマの主人公に、と、活動をしている人たちも居るんですよね。
この「山田方谷」は、備中松山藩に仕え、その優れた手腕で、藩政の立て直しに活躍をした人。
陽明学者として有名で、全国から、山田方向に師事するために、若者が集まって来たということ。
その中の一人に、あの越後長岡藩の河井継之助が居た。
個人的には、この「山田方谷」を、大河ドラマの主人公にするのは、なかなか、難しいような気がする。
やはり、どうも、世間に訴えるインパクトに欠けるのではないかと思うところです。