大河ドラマ「光る君へ」が、最終回を迎えましたね。
とても、良いドラマでした。
さて、最終回には、主人公「まひろ」に対して、「源氏物語」の面白さを、熱く、語る女性が、登場。
まひろが、「源氏物語」の作者だということを知らず、「源氏物語」の魅力と、物語の魅力を、熱く、語る、女の子。
それが、初代文学ヲタクとも言える「菅原孝標女」です。
この菅原孝標女は、あの菅原道真の五世の孫になるそうですね。
そして、母方の叔母に、あの「蜻蛉日記」を書いた藤原道綱母が居る。
そして、乳母は、あの藤原行成の娘だったそうです。
この「更級日記」というもの。
とても、面白いんですよね。
作者の菅原孝標女が、13歳の時(1020)から、52歳の時(1059)までの自分の人生を振り返って、書いたもの。
僕が読んだのは、一番下にある漫画版です。
とても、読みやすく、面白い。
そのうち、全文を読んでみたいところもあります。
この菅原孝標女は、とにかく、「物語」というものが大好きだった少女。
そのため、「更級日記」の中には、多くの物語の名前が登場し、その中には、今に伝わらない物語も、いくつも含まれるそうです。
そして、中でも、菅原孝標女が、熱中したのが「源氏物語」で、全てのシーンとセリフを暗記するくらい、読み込んでいたそうです。
そして、菅原孝標女は、自分を、「源氏物語」の登場人物である夕顔や浮舟のような女性になぞらえ、光源氏のような男性と恋愛をすることに憧れます。
しかし、現実は、そう、思い通りには行かない。
そして、この「更級日記」の中には、少し、不思議なエピソードも、度々、登場するよう。
それらを中心に、内容を振り返ります。
父、菅原孝標は、受領階級、つまり、中流貴族で、上総国に赴任をしているところから「更級日記」は始まります。
菅原孝標女は、そこで、「物語」というものに出会い、強い興味を持つことになる。
そして、父は、任期を終え、京都に戻る訳ですが、当時、上総国(千葉県)から京都まで、約3ヶ月もかかって旅をしたそうですね。
その途中、全て、宿屋に泊まれる訳ではなく、時には、自分たちで小屋を作って宿泊をすることもあったよう。
その旅の途中、足柄山の森の中で、夜中に、どこからともなく、三人の「遊女」が現れ、素晴しい歌を聴かせてくれたということ。そのような旅芸人のような人、しかも、女性だけで、地方を歩いていたのかと思うと、驚きです。
京都に戻る時、夜を待ってから町に入り、住居の屋敷が荒れ果てていたというのは、「土佐日記」にも見られた様子です。
恐らく、受領が、地方から戻ってくる時は、大体、このような状況だったのでしょう。
そして、京都に戻った菅原孝標女は、母に頼んで、叔母から大量の物語を貰うことに。
そして、菅原孝標女は、その物語に熱中し、読み耽ります。
そして、更に、念願だった「源氏物語」の全巻を入手。
部屋に籠り、朝も晩も、とにかく、「源氏物語」を読み続けることに。
そんな時、15歳の時に、屋敷の中に、一匹の猫が現れます。
当時、猫は、どこにでも居るものではなく、高級ペットとして、身分のある人が、屋敷の中で、大切に飼っていたもの。
それが、なぜか、菅原孝標女の屋敷に。
この猫、とてもプライドが高く、身分の低い使用人などには、全く、懐かず、菅原孝標女や、その姉には、よく懐いていたということ。
そして、姉は、夢の中で、その猫が、少し前に亡くなった「大納言(藤原行成)の姫」だということを知る。
しかし、翌年、屋敷が火事になり、その猫も、焼け死んでしまった。
ちなみに、この「夢」というもの。
物語の中に、頻繁に登場しますが、平安時代の当時、この「夢」は、現実社会とリンクをすると考えられていたようですね。
つまり、「夢」は、単なる、「夢」ではなく、まさに、「現実」であり、その「現実」を予言するものでもあったということ。
ちなみに、当時は、「悪夢を見た」という理由で、仕事を休むということも、認められていたようです。
そして、ある日、姉が、月を見ながら、不思議な話をします。
そして、それから間もなくして、姉が亡くなってしまう。
その姉が亡くなって間もなく、姉が親戚に頼んでいたという物語が、屋敷に届く。
それは「かばねたづぬる宮」という物語で、亡くなった人の亡骸を、皇子が探すというもの。
これもまた、「死」を予告するような不思議な話ですよね。
ちなみに、この物語もまた、現代には伝わっていません。
さて、父が、新たな仕事で、常陸国(茨城県)に行くことに。
今度は、単身赴任です。
父と娘の、涙の別れ。
菅原孝標女は、年頃になりましたが、相変わらず、「源氏物語」のような妄想の恋に浸っている。
この頃、初瀬の長谷寺に、代理で、お坊さんにお参りをしてもらうのですが、そこで、お坊さんの見た不吉な夢が、後に、現実になることに。
菅原孝標女、29歳の時に、父が、常陸国から京都に戻って来ます。
父も母も、隠居を決め、菅原孝標女が、一家を支えることに。
菅原孝標女は、宮仕えをすることになります。
菅原孝標女が仕えたのは、後朱雀天皇の第三皇女、祐子内親王です。
やはり、紫式部の時と同じく、最初の出仕で、周囲の環境にショックを受け、しばらく、引きこもっていたようですね。
そして、再び、出仕、宮仕えが始まります。
そして、33歳で、ようやく、父の決めた相手(橘俊通)と結婚。
この、33歳での結婚というのは、当時では、相当の晩婚でしょう。
やはり、「源氏物語」のような恋に憧れていた弊害でしょうか。
しかし、結婚をして間もなく、35歳の時に、宮仕えの中で、源資通という、光源氏をイメージさせる、素晴しい男性と出会い、恋心を抱きますが、この恋は、上手く行かず、自然消滅することに。
そして、菅原孝標女は、心機一転、家のため、家族のため、真面目に生きることを決意します。
これまで、いい加減だった寺参りなども、しっかりと行うようになります。
この頃、「物詣」とは、願い事を持って寺社に行き、数日間、そこに籠っていたそですね。なかなか、大変です。
石山寺、長谷寺、鞍馬寺などに、頻繁に、物詣に出かけます。
それは、家族のため。子供の成長と、夫の出世を願います。
48歳の時、菅原孝標女は、阿弥陀仏が極楽浄土に迎えに来る夢を見ます。
自分には、極楽浄土への往生が約束されていると思うことが、その後、生きるための支えとなったよう。
当時の人たちにとって、「極楽浄土に往生する」というのは、最も、重要なことで、そのための作法なども、色々と考えられていたようですね。
大河ドラマ「光る君へ」を見ていると、死ぬ間際の布団の中の藤原道長が、阿弥陀仏と紐で手を繋いでいるシーンが登場しましたが、それもまた、極楽浄土に往生するための作法の一つ。
そして、50歳の時、夫、橘俊通の信濃国(長野県)への赴任が決定。
菅原孝標女は、夫と息子を、信濃国に送り出しますが、その時、使用人が、大きな人魂を見たと話す。
菅原孝標女は、その話を聞き、不吉な感覚が。
翌年、信濃国から京都に戻った夫は、病に倒れ、そのまま、亡くなります。
菅原孝標女は、大きなショックを受け、かつて、長谷寺に代理でお参りをしたもらったお坊さんの見た夢が、現実になったことを知る。
そして、夫が亡くなったという大きなショックから立ち直ろうと、菅原孝標女は、「更級日記」を書き始めることになります。
この時、53歳。
紫式部が、「源氏物語」を書くきっかけも、夫が亡くなった悲しみから立ち直るためではないかとも言われているようですね。
やはり、「何かを書く」ということは、その才能のある人にとっては「癒やし」の手段でもあるのでしょう。
この菅原孝標女は、「更級日記」だけではなく、「浜松中納言物語」や「夜半の寝覚」という物語の作者ではないかと考えられているそうです。
平安時代は、まさに、「女流文学の時代」ですよね。