少し前に、NHKの「歴史探偵」で、宮沢賢治の話をしていましたね。
メインは、小説「銀河鉄道の夜」でしたが、宮沢賢治自身についての話も、いくつか。
この放送を見ていて、色々と、考えることもありました。
以下、そのことについて。
宮沢賢治は、小説家でもあり、詩人でもある訳ですが、宮沢賢治の詩の中で、最も、有名なのは、「雨ニモマケズ」で始まる詩ではないでしょうか。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク
決シテ怒ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノ子供アレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北にケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ
以上、全文です。
多分、著作権は切れているのでしょうが、問題はないのでしょうかね。
冒頭の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の部分は、宮沢賢治の詩だということを知らないまま、知っている人も多いのかも。
この詩は、宮沢賢治が、生前に出版をした詩集に収録されている訳ではなく、亡くなる少し前に、手帳に記されてあったものだそうですね。
番組では、実際に、その手帳が、紹介されていました。
亡くなる間際まで、このようなことを考えていたとは。
この詩を知った時から、色々と、思うことが。
それは、宮沢賢治の、思想と行動について。
この詩に書かれているのは、いわゆる「滅私奉公」の思想ですよね。
「私(わたくし)」というものを無くし、「他人のため」、または、「世のため」に尽くす。
これは、いわゆる「宗教者」の思想ですよね。
宗教心に厚い人が、こういう思想を持つのでしょう。
そして、「他者のため」に尽くしたからといって、自ら、褒められることを望まない。
むしろ、その存在を消し、周囲にとって、空気のような存在であることを望む。
宮沢賢治が、「法華経」に傾倒していたのは、有名な話で、この宮沢賢治と「法華経」、そして、その人生については、そのうちに、何か、本を読もうと思っているところです。
やはり、上の詩もまた、「法華経」の影響から来るものでしょうか。
「法華経」についても、何か、本を読もうとは思っているのですが、この「法華経」は、かなり、膨大の分量のあるお経のようで、なかなか、手の出ないところ。
宮沢賢治の、この詩を読むと、個人的に尊敬する「良寛」の生き方に似ているような気がする。
また、遠藤周作の小説「死海のほとり」に登場する「イエス・キリスト」のイメージも、上の詩に近い気がする。
僕自身もまた、宮沢賢治の詩のように生きたいという憧れがあります。
しかし、冒頭の「丈夫な身体」、そして、「丈夫な心」が、僕には、無かった。
同じ、宮沢賢治の詩に「永訣の朝」というものがあります。
この詩もまた、有名でしょう。
これは、妹の最期を読んだもの。
その中に、妹の言葉として、「うまれでくるたて、こんどはこたにわりゃのごとばかりで、くるしまなあようにうまれてくる」と書かれています。
「今度、生まれて来る時には、自分のことばかりで苦しまなくても良いように生まれて来る」
と言う、宮沢賢治の妹の言葉。
僕もまた、今度、生まれて来る時には、自分自身のことで苦しむことなく、他人のために、何かをしたいところです。