週末に、個人的に、大好きな映画「ハッピー・デス・デイ」と、その続編「ハッピー・デス・デイ2U」を観賞。

やはり、面白いですね。

 

 

主人公は、ある大学に通う女子学生の「ツリー」。

このツリーは、いわゆる「ビッチ」と呼ばれる、性格の悪い女で、男関係も、いい加減。

 

ツリーは、大学の男子寮の中の「カーター」という学生の部屋で目を覚ます。

昨夜のパーティーで、酒に酔って意識を失い、カーターが、自分の部屋に運んだのだった。

目を覚ましたツリーは、男子寮を出ると、大学のキャンパスを歩き、女子寮の自分の部屋に戻る。

同居人のロリが、誕生日の小さなケーキを用意してくれていたのだが、ツリーは、感謝もせず、そのケーキを、ゴミ箱に捨てる。

今日は18日の月曜日で、ツリーと、亡くなった母親の誕生日だった。

父親からかかってくる電話は、無視。

夜になり、また、仲間内でのパーテーに出かけることになるのだが、その途中、ツリーは、何と、キャラクターの仮面をつけた謎の人物によって殺害されてしまう。

 

殺された瞬間、ツリーは、また、カーターの部屋で目を覚ました。

「一体、何だ」と思いながら、18日の月曜日、もう一度、同じ風景を経験しながら、自分の部屋に戻る。

そして、夜のパーティー。

警戒をしながら、無事、パーティーに到着したツリーだったが、そのパーティー会場の家で、また、キャラクターの仮面をつけた謎の人物に殺害される。

 

そして、殺された瞬間、また、ツリーは、18日の月曜日、カーターの部屋で目を覚ます。

また、同じ風景が続き、同じ経験をする。

「一体、これは、何なのか」

ツリーは、自分自身に、何が起こっているのか、理解が出来ないまま、また、18日の月曜日を生きることになる。

自分は、また、殺されるのか。

そして、また、18日の月曜日を繰り返すのか。

 

一体、自分を殺そうとしている人物は、誰なのか。

そして、なぜ、自分が殺されなければならないのか。

 

この映画、ホラー的でもあり、コメディ的でもあり、物語のテンポも良く、とても、面白い。

 

主人公のツリーは、記憶を持ったまま、同じ、「18日の月曜日」という自分の誕生日の日を、延々とループすることになる。

しかも、ループのきっかけが、「自分が、殺される」ということ。

 

自分が殺されることが分かっていながら、同じ時間を繰り返すというのは、精神的に、相当に辛いですよね。

そして、ツリーは、カーターの助けを借り、自分を殺そうとしている人が誰なのかを探し、このループを抜けだそうと懸命になる。

 

この「同じ時間を繰り返す」「同じ時間をループする」という設定。

多くのSF物語で採用されているものでしょう。

藤子F不二雄さんの「未来の想い出」もそうでしょう。

 

 

以前、放送されたドラマ「リピート」は、とても面白かった。

こちらは、小説が原作なんですよね。

 

 

さて、「時間」というものは、必ず、「過去」から「未来」に向かって流れる。

この「時間」の流れは、そもそも、決まっているのか、それとも、決まっていないのかという話は、以前にもしましたが、そもそも、この「時間」の流れを、断続的に「飛び越える」ことなんて、出来るものなのでしょうかね。

「時間」を「リピート」するということは、「現在」から「過去」に向かって、時間を飛び越えるということ。

今回の映画「ハッピー・デス・デイ」の場合は、ツリーという女性の「意識」だけが、時間を飛び越え、同じ時間を繰り返すということになる。

果たして、このようなことが可能なのか。

 

もっとも、検証が出来ないものを考えても無駄、と、言うことになるのでしょうが。

 

そして、続編である「ハッピー・デス・デイ2U」

 

 

こちらもまた、ツリーが、時間のリピートを繰り返す訳ですが、その時間のリピートの原因が、カーターのルームメイト、「ライアン」の製作した実験装置だということが発覚。

そして、ツリーは、時間のリピートを繰り返す中で、これまでの「時間の流れ」とは違う「平行世界」に移ってしまうことになる。

 

この、ツリーが移った「平行世界」は、亡くなったはずの母親が、生きている世界で、母親に再会することが出来たツリーは、感動する。

しかし、この世界では、自分の恋人になったはずのカーターが、友達の恋人になっていた。

 

母親が生きている「平行世界」に留まるのか。

それとも、カーターの恋人になった、元の世界に戻るのか。

 

この続編は、更に、エンターテイメント要素が高まり、まるで「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のような雰囲気で見ることが出来ます。

 

そして、色々と、考えさせられることも。

 

本来の「時間の流れ」の中では、とっくの昔に、亡くなってしまったはずの母親。

しかし、今の「平行世界」の「時間の流れ」の中では、最愛の母親が、生きている。

 

当然、ツリーは、今の「平行世界」に留まる決断を、最初は、する訳で、このまま、母親と一緒に、生きて行きたいと思う。

しかし、ある出来事をきっかけに、「この世界は、自分が生きて来た世界ではない」と感じることも。

つまり、ツリーには、母親との記憶は、母親が亡くなった時までのものしかない。

しかし、この母親が生きている世界では、当然、これまで、母親と生きて来た自分が居る訳で、母親には、その記憶が残っている。しかし、自分には、それが無い。

これは、ちょっと、奇妙な感覚ですよね。

 

この「平行世界」、一般的には「別の次元の世界」とも表現され、映画でも、そう表現されますが、この「平行世界」「別の次元の世界」は、本当に、存在するのでしょうかね。

もしかすると、「別の時間の流れ」の中に、「別の自分」が生きているかも知れない。

その「別の時間の流れ」の中では、自分は、もしかすると、立派な職業に就き、最愛の人と結婚をし、可愛い子供が居るのかも知れない。

 

実は、この続編の映画に登場するライアンの製作した実験装置には「量子力学」が絡んでいます。

この「量子論」「量子力学」というもの。

とても、常識では考えられない、不思議な現象を起すもので、取りあえず、この「量子論」「量子力学」を持ち出せば、何だか、よく分からないことも、何となく「科学的」に説明しているように見えるということで、本屋で棚を眺めていると、現在では、いわゆる「スピリチュアル」系の本でも、この「量子論」「量子力学」をタイトル、内容に含めているものが増えているような気がします。

これもまた、何となく「スピリチュアル」を「科学的」に見せる、まやかしのようなものでしょう。

今回の映画では、ツリーが、時間をリピートし、平行世界に移った現象を、一応、科学的に思わせるために「量子論」「量子力学」を持ち出しているのでしょう。

 

ちなみに、「量子論」「量子力学」と「平行世界」は、必ずしも、荒唐無稽というものではありません。

それを紹介したのが、こちらの本。

 

 

この本、以前も紹介しましたが、なかなか、面白い。

しかし、全く、何も、「量子論」について知識の無い人が読むには、少し、難しいかも。