先日、ある人のブログを見ていると、「11月25日は、三島由紀夫を自決をした日だ」という内容のものが。

昔、三島由紀夫の小説は、いくらか、読んだことがあるのですが、どうも、僕の好みには合わない。

それで、三島由紀夫という人にも、あまり関心は無いのですが、あの自衛隊の市ヶ谷駐屯地のバルコニーで演説をする三島由紀夫の映像は、有名で、多くの人が知っているのではないでしょうか。

その直後、三島は、自決をする訳ですが、一体、何をしようとしていたのでしょう。

詳しくは知らないので、ネットで調べてみる。

 

昭和45年(1970)11月15日。

午前11時の少し前、三島由紀夫は、「盾の会」のメンバー、4人と共に、陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地の正門を入り、東部方面総監部の正面玄関を入り、案内を受けて、二階にある総監室の通される。

この訪問は、21日に、事前予約されていたようで、三島らは、スムーズに、総監室に入ることが出来た。

三島らは、総監室に居た総監、益田陸将を人質に取る。

 

室内の異変に気がついた人たちが、ドアのバリケードを破壊して、室内に突入。

しかし、三島らは、軍刀を振り、彼らに対抗。

室内で、激しい乱闘になったが、人質に取られた総監の安全を考え、突入をした人たちは、一時、撤退する。

 

午前11半の少し前に、警視庁に110番が入る。120名の機動隊が、出動。

一時、室外に撤退した幕僚たちは、三島らの説得を試みるが、それに対して、三島は、要望書を出す。

その要望書には、自衛官を、本館の前に集め、三島が、彼らを前に演説し、その間、一切の妨害を行わない、と、言うことが書かれていた。

この要望が守られれば、総監を解放する。守られない時は、総監を殺害し、自分も自決をする、とも、書かれていた。

 

11時40分、市ヶ谷駐屯地の自衛官に、本館前に集まるように放送が始まる。

この頃、警察車両が、次々に、駐屯地に入り、マスコミも、第一報を伝えていた。

 

正午、軍刀を持ち、日の丸の鉢巻きをした三島が、バルコニーに出る。

この時、三島が行ったのは「憲法改正のための決起」を、自衛官に促すものだったそうですね。

しかし、集まった自衛官たちからは、大きなヤジが飛び、三島と怒鳴り合いになる。

自分の演説が受け入れられないことを知った三島は、10分ほどで、演説を切り上げ、総監室に戻る。

そして、自決。45歳。

 

何で、三島は、このような思想にのめり込んで行ったんでしょうね。

三島に関心があり、詳しい人は、知っているのでしょうが。

 

さて、大江健三郎の小説に「新しき人よ目覚めよ」という作品があります。

 

 

この小説は、作家の「僕」の家族の話で、中でも、知的障害のある「イーヨー」を中心とした話になる訳ですが、これは、大江健三郎さん自身と、息子の光さんをモデルにしているのでしょうが、書かれている内容は、全くのフィクションなのか、それとも、ある程度、事実を反映しているのかは、当然、僕には、分からない。

文章は、大江さんの小説の中でも、読みやすいものと思いますが、何が書かれているのか、僕の読解力程度では、恐らく、何も、理解していないということになるのかも。

 

さて、この小説の中に、上の、三島事件の、三島が自決をした後の様子を描写した話が出て来るんですよね。

読んでいて、かなり、気持ち悪かった気持ちがある。

先日のブログでも書いたことですが、こういうものを書かれて、当事者の人たち、関係者の人たちは、一体、どのような気持ちになるのか。

 

さて、大江健三郎、三島由紀夫と言えば、思想的には、対極にある人ですよね。

お互い、お互いのことを、どう思っていたのでしょう。