谷川俊太郎さんが、亡くなったということ。
谷川俊太郎さんと言えば、詩人ですが、詩というものには、あまり関心がある方ではなく、谷川さんの詩集というものは、読んだことがない。
個人的に、谷川俊太郎さんと言えば、漫画「ピーナッツ」の翻訳ですね。
日本では「スヌーピー」と言った方が、分かりやすい。
この「スヌーピー」については、当然、子供の頃から知っていましたが、あまり、関心は無く、読んでみようとも思わなかった。
僕が、この「ピーナッツ」という漫画に興味を持ったのは、今から20数年前に、この「ピーナッツ」の漫画を、心理学的に解釈をした本を、たまたま、本屋で見かけたのが、きっかけです。
この「ピーナッツ」には、登場人物たちの言動を、心理学的に解釈をした本が、たくさん、出版されています。
この「ピーナッツ」の登場人物は、みんな、子供です。
大人は、登場しない。
そして、その子供たちの、悟り澄ましたような会話が、色々と、心理学的に解釈され、上のような本が、色々と出版されています。
精神的な悩みを観じている人が読むと、なかなか、面白いかも。
もっとも、この本を読んだからといって、その悩みが解決するという訳ではありませんが。
僕も、そういう経験をした、一人。
なぜ、谷川さんが、この「ピーナッツ」の翻訳をすることになったのでしょう。
さて、この「詩」というもの。
何だか、不思議ですよね。
一見、短い文、短い言葉が並んでいるので、誰でも、書けるような気がする。
しかし、なぜか、詩人と呼ばれる人が書くようなものにはならない。
この違いは、何なのでしょう。
やはり、言葉選びの「センス」でしょうか。
それとも、そもそもの「感性」が、詩人と呼ばれる人と、一般の凡人とでは、違うものなのでしょうか。
そもそも、「感性」が違うとなると、一般の凡人は、いくら努力をしても詩人にはなれない。
それは、残念なこと。
少し、余談。
和歌や俳句もまた、詩の一つですよね。
日本の伝統的な定型詩ということになるのでしょう。
確か、俳句は、「世界で、最も短い詩」と言われているとか。
TBSで放送されている「プレバト」で、俳句の評価が行われていますよね。
芸能人たちが、俳句を詠み、先生が、評価をする。
ある日、これを見ていると、梅沢富美男さんが、自分の俳句を、先生に手直しされた時、「それでは、自分の言いたいこととは違う」という趣旨の抗議をしていたことがありました。
これは、いつも、僕も、個人的に感じていることでもあります。
確かに、先生に手直しされると、元の俳句よりも、俳句として、素晴しいものになっていることは間違いない。
しかし、それでは、自分の言いたいこととは、ズレてしまう。
僕は、個人的に、文章を書くのが好きで、和歌にしろ、俳句にしろ、詩にしろ、書いてみたいという気はあるのですが、それを、他人に評価されたり、手直しされたりするのは、どうも、嫌です。
評価されるのは、単純に、恥ずかしい。
そして、手直しされるのは、やはり、自分の言いたいことは、そうではないという感覚を持ってしまうから。
これでは、何事も、上達しないでしょうが。