昨日、テレビを見ていると、昔、ハワイで殺害された有名な占い師の話をしていましたね。

当時、ワイドショーで、大きく取り上げられていたのを、よく覚えていますが、あまり、興味が無かったので、詳しいことは、何も知らなかった。

しかし、犯人として逮捕された男性の名前が特徴的だったので、犯人のことは、よく覚えていた。

その犯人の男性、少し前に、刑務所の中で殺害されたという記事があり、まだ、刑務所の中に居たのか、と、思ったところ。

それにしても、刑務所の中で、殺人事件とは。

アメリカは、怖いですね。

 

さて、昨日のテレビを見ていると、その殺害された占い師の女性。

とても、有名だったそうですね。

政界、財界、芸能界の大物と言われる人たちが、多く、その占い師に心酔をしていたようですね。

今でも、そういった人が居るのでしょうかね。

財界、芸能界はともかく、政界が、占い師の予言によって動くとなると、ちょっと、困ったこと。

もっとも、表に出さない限り、誰にも、分からないところですが。

 

さて、この「占い」というもの。

 

言い換えれば「未来予知」ということですよね。

 

この「未来予知」は、本当に、可能なのでしょうか。

 

もし、「未来予知」が可能だとすれば、「未来」は、「決定事項」だということになる。

もし「未来」が、「不確定」なら、「未来予知」は、絶対的に不可能です。

なぜなら、「未来」は、「決まっていない」のだから。

 

逆に、「未来」が「決定事項」だとすれば、そもそも、「占い」に、意味があるのかどうかという問題がある。

なぜなら、「占い」を、しようが、しまいが、「未来」は、「決まっている」ので、結局、何も、変わらない。

 

もっとも、「未来」が「決定事項」だとすれば、「過去」「現在」「未来」の全てが、すでに「決まっている」ということで、「占い」を、する、しないの判断も、すでに、「決まっている」ということになる。

ならば、人間の「意識」や「判断」は、一体、意味を持つのかという問題も出て来ますが、それは、また、別の話。

 

さて、安部公房の小説に「第四間氷期」というものがあります。

 

 

この本を読んだのは、随分と昔で、内容は、ほぼ、記憶に残っていませんが、確か、「未来予知」をするコンピューターが登場するんですよね。

その中で、このような話があったのを覚えています。

 

コンピューターに「未来予知」をさせるためには、様々なデーターを、そのコンピューターに入力しなければならない。

そして、必要なデーターを入力し、そのデータを基に、「未来予知」をする訳ですが、実は、これでは、完全ではありません。

なぜなら、「コンピューターが、未来を予知した」というデーターが欠けているから。

 

もっとも、本当に、このような話があったかどうかは、確かではありません。

もしかすると、他のもので読んだ記憶が、混ざっているのかも。

 

さて、上の例を、具体的に話しますと、例えば、「未来」に、交通事故に遭い、死んでしまう人が居るとする。

この人の未来を、普通に予知すれば、「あなたは、未来に、交通事故で死にます」ということになる。

 

しかし、その人が、その「あなたは、未来に、交通事故で死にます」という予知を知ると、交通事故を回避し、事故で死ぬことはない。

つまり、「未来予知」をしたことによって「未来」が変わってしまうことになる。

 

これは、果たして「未来」を「予知」したということになるのでしょうか。

 

そもそも、「未来」を「予知」しなければ、その人が、交通事故で死んでいたということを証明することが出来るのか。

それで、「未来予知」が、成功したと言うことが出来るのか。

 

量子論で有名なパラドックス「シュレーティンガーの猫」ですが、果たして、猫は、生きているのか、死んでいるのか。

予知をすることは不可能です。

量子論的には、「未来予知」は、不可能ということが分かっている。

 

さて、最初の話。

 

殺害をされた有名占い師ですが、自分が、誰かに殺害されるということは、占いで知ることが出来なかったのですかね。

大きな疑問です。