先日、海上自衛隊の掃海艇「うくしま」の、エンジンから出火。

燃料に延焼して、沈没。

当時、機械室で当直をしていた隊員、一人が行方不明という事故がありましたね。

ネットで、その後を調べてみると、船内を潜水士が捜査したものの、行方不明の隊員を見つけることは出来なかったということ。

一体、どこに消えたのでしょう。

身内の人は、心配でしょう。

 

さて、この「掃海艇」というもの。

 

海中にある「機雷」を除去するための船です。

 

この「機雷」について、この本の中にも、記述がありました。

 

 

この「機雷」とは、「水雷」の種類の中の一つだそうですね。

 

水中を自走するのが「魚雷」。

水上から水中に投下するのが「爆雷」。

水中に敷設するのが「機雷」。

長い竿の先に装着した爆弾で、敵船の水線下を突いて爆発させるのが「外装水雷」。

 

水雷には、この四種類があるそう。

 

機雷が、実戦で登場したのが、クリミア戦争。

外装水雷が、実戦で登場したのが、南北戦争になるそうです。

 

そして、日本では、幕末、薩英戦争で、薩摩藩が、イギリス艦隊に対して、機雷を三つ、敷設していたそう。

しかし、戦果は、無かったということ。

 

そして、薩摩藩は、自身が機雷を用いた経験から、箱館戦争では、新政府艦隊は、函館湾での榎本軍の、湾内での機雷の設置を警戒していたそう。

 

薩摩藩が使用した機雷とは、どのようなものだったのか。興味のあるところですが、詳しい情報は、この本には、載っていない。

また、榎本軍は、機雷は、使用していなかったのでしょう。

箱館湾では、榎本軍、新政府軍の艦が、砲撃戦を繰り広げている。

 

また、機雷の敷設は無かったものの、榎本軍は、湾内に、敵艦の侵入防止のために網を張っていたそうですね。

新政府軍の「春日」が、この網に引っかかり、網の切断作業に追われるという状態があったそう。

 

第二次世界大戦でも、潜水艦の侵入を防止するために「防潜網」という網が、海中に張られていたそうです。

 

こちら、「伊号第20潜水艦」の模型です。

船首に、奇妙なものが付いているのが、分かりますかね。

ちなみに、後ろの背負っているのは、特殊潜航艇「甲標的」です。

 

この潜水艦の船首に、斜めに付いているノコギリのような格好をしていものは、防潜網を切断するための装備です。

 

 

この本。

潜水艦の乗組員の日常を、ユーモアを含めて、書いているものですが、確か、この本の中に、潜水艦が、防潜網に引っかかり、身動きが出来なくなった話が出て来ます。

潜水艦の中では、酸素の量が限られ、時間が経つにつれて、次第に、酸素が、減へると、頭がボーとして来て、何も考えられなくなるようです。

しかし、運良く、防潜網が外れて、無事、脱出。

 

潜水艦は、浮上の手段を失うと、もう、助からない。

なかなか、乗るのは、怖いですね。