野坂昭如さんの短編小説「焼土層」。

これも、戦中、戦後を舞台にした、悲しいお話です。

 

 

主人公の善衛は、東京の裕福な家の生まれだが、子供の頃、神戸の舎利万(こつま)という夫婦のところに、養子に出されていた。

しかし、空襲によって養父を失い、養母の「きぬ」は、両手に火傷を負い、善衛を、このまま育てて行くことは難しいと、きぬは、終戦直後、善衛を、また、生家で、引き取ってくれるように頼み、善衛は、12歳の時に、実の両親の元に戻った。

 

その舎利万きぬが、亡くなったという知らせを聞いて、善衛が、きぬが住んでいたというアパートに向かうところから、物語は、始まります。

そして、「アメリカひじき」と同様に、現在の状況と、過去の記憶とが、交互に入り交じって、話は進んで行きます。

 

12歳の時、生家に戻った善衛は、特に、養母のきぬのことを思うこともなく、すぐに、家に馴染み、満足な生活を送ることに。

高校に入った時に、一度、神戸のきぬを訪ねてみたのだが、女一人で、不自由な手でありながら、働きづめで、何も持たず、がらんとした一間に住む、みずぼらしく、年齢以上に老けて見えるかつての養母に、善衛は、親しみを感じることが出来ず、すぐに、逃げるように部屋を後にしてしまう。

 

善衛は、実の両親に、心優しい子であることを演じるために、きぬのことを心配している素振りは、時折、見せるものの、心の底から、そう思っていた訳ではない。

善衛は、仕事をするようになってから、月に一万円を、きぬに仕送りをするようになったが、それも、きぬの心配をしてというよりも、単なる、かつての養母を気にかけるポーズに過ぎない。

 

年を取って、働けなくなれば、生活保護を貰うことが出来、自分の送る一万円で、生活をして行くことは出来るだろうと善衛は、思っていた。

仕送りをすると、きぬからお礼の手紙が来るが、それは、いつも決まり文句で、きぬの生活の現状は、善衛には、分からない。

 

神戸で、きぬが亡くなったというアパートを探す。

それは、かつて、善衛が、養母のきぬと養父と一緒に住んでいた場所の近く。

得体の知れない人たちが住む古いアパートの狭い一室に、きぬの遺体は、寝かされていた。きぬは、69歳で、自然死だろうということ。

他に身よりはなく、部屋の中を探したところ、善衛からの手紙があったので、近所の人が、善衛に連絡をしたのだった。

 

善衛は、周囲の人たちから、きぬの亡くなる前の生活の状態を聞いた。

きぬは、生活保護は、貰っていなかったと言う。

生活保護を貰うことを周囲から勧められても、拒否して、善衛の送る一万円だけで生活をしていたということ。

それでは、とても、まともな生活は出来ない。

でも、きぬは、そうしていた。

 

きぬが、自分の送るお金だけを頼りに、自分が、かつて、育てた子供の仕送りだけを楽しみに生きていたということを、善衛は、知る。

そして、得体の知れない人たちの住む、古いアパートの狭い部屋で生活をしていたのは、かつて、夫と、善衛と一緒に暮らした家の近くだったため。

 

善衛は、きぬの亡くなる前の思いを知り、涙が止まらなくなった。

 

この「きぬ」という女性。

 

空襲で、頼るべき夫を失い、自分自身も、空襲による両腕の火傷で、不自由な身体を抱えながらも、戦後、必死に働いて、生きて行かなければならなかった。

こういう人は、相当な数、居たのだろうと思います。

しかし、国から、何か、補償があった訳ではない。

自分の力で、何とか、生きて行かなければならなかった。

 

この空襲による被害者への国家補償は、未だに、解決のついていない問題だと、以前、テレビで、放送しているのを見た記憶があります。

しかし、今では、こういった「きぬ」のような空襲による被害者自体が、もう、ほとんど、亡くなってしまっていることでしょう。

つまり、あやふやなまま、終わってしまったということになる。

 

昨日は、あの「ひめゆり学徒隊」の一人だった女性が、九十何歳かで亡くなったという報道がありました。

また、戦争を知り、戦争を語り継いだ人が、一人。