野坂昭如さんの短編小説「アメリカひじき」。

「火垂るの墓」と同じ本に収録されています。

 

 

この「アメリカひじき」と「火垂るの墓」の二作で、野坂さんは直木賞を受賞しているそうですね。

なぜ、芥川賞ではなく、直木賞なのでしょう。

個人的には、芥川賞でも良いのではないかな、と、思うところでもありますが、区分が、明確に分からないところもありますよね。

 

さて、この「アメリカひじき」ですが、妙なタイトルですよね。

「アメリカひじき」って、一体、何なのでしょう。

 

主人公は、俊夫という男性。

妻の京子と息子の啓一を、二人で、ハワイに旅行に行かせたのですが、京子は、そこで、ヒギンズという名前の老夫婦と仲良くなり、帰国後も、文通を続けていた。

そして、そのヒギンズ夫婦が、日本に旅行に来るというので、京子は、ハワイで世話になったお礼に、自分の家に、ヒギンズ夫婦を泊めてやると言う。

しかし、俊夫は、それに、複雑な感情を持っていた。

 

俊夫の、アメリカ人に対する、複雑な感情。

それは、戦争が終わった直後、進駐軍として日本に来た、アメリカ人たちと接した時の記憶や、思い出。

そこには、アメリカの文明や、アメリカ人に対する、コンプレックスや劣等感のようなものが隠れていて、次々と、その時の思い出が、物語の中で、複雑に語られて行く。

 

そして、ヒンギズ夫婦が日本に来て、俊夫の家に泊まることになる。

会う前は、絶対に、アメリカ人に媚びを売らないと決めていたものの、結局、俊夫は、アメリカ人であるヒンギズのご機嫌を取ろうと必死になる。

そういう自分自身を、俊夫は客観的に見て、嫌気がさしてしまう。

しかし、それを止めることは出来ない。

こういう、アメリカ人に対する自分の思い、態度は、どこから来るのか。

やはり、あの終戦直後、アメリカや、アメリカ人に対して感じた、劣等感から来ているのではないか。

 

さて、この小説の中で、子供だった俊夫が体験をした思い出が、色々と語られる訳ですが、どこまでが、野坂さんの実際の体験で、どこからがフィクションなのでしょうね。

読んでいると、ほぼ、全てが、実際の体験なのだろうと思うほど、内容はリアルです。

 

戦争直後、当時の子供たちは、多分、アメリカ人を見て、驚き、興味を持ったのではないでしょうかね。

戦争中は、敵として、殺すべき相手として教育を受けていたアメリカ人が、目の前に居る。

子供たちが「ギブ・ミー・チョコレート」と言って、アメリカの進駐軍兵士を追いかけ、チョコレートを貰ったというのは、よく聞いた話。

しかし、小説の中では「チョコレート」ではなく「チューインガム」が、印象的に登場します。

 

さて、タイトルの「アメリカひじき」ですが、このような話が出て来ます。

 

ある日、B29が、空から、子供の俊夫の住んでいる町に、ドラム缶のようなものを、大量に、撒きます。

住民たちは、何だろうと思い、落下をして来た、そのドラム缶を開けると、様々な食糧が入っていた。

恐らく、これは、近くに収用されているアメリカ人捕虜に食べさせるために撒いたのだろうと町の人たちは考えるが、みんな、そのドラム缶を持っていって、自分たちのものにしてしまう。

 

その中に、妙な食べ物があった。

町の人たちは、それが、何なのか、どのようにして食べるのかが、分からない。

「日本の『ひじき』のようなものではないか」

と、ある人が言い、それを、袋から出し、お湯にふやかして食べようとする。

すると、お湯が、おかしな色になってしまった。

「アクが出たんじゃないか。アクが無くなるまで、茹でよう」

と、お湯が、濁らなくなるまで茹でてから、その「ひじき」のようなものを食べると、全く、美味しくない。

「アメリカ人は、こんな不味いものを食べているのかな」

と、みんな思うのだが、実は、それは、アメリカの「紅茶」の葉だったということが、後に分かる。

と、言うお話。

 

「アメリカひじき」というタイトルは、このエピソードから来ているもの。

 

アメリカ人の大きな身体に圧倒され、豊富な食糧に圧倒され、俊夫は、ショックを受ける。

そこから来るコンプレックス、劣等感は、当時、子供だった人には、俊夫のように、植え付けられているものだったのでしょうかね。

 

しかし、今の時代。

少し、お金と暇があれば、誰もが、すぐに、海外に出かけて行く。

アメリカ人に劣等感を持つ若者など、居ないのでしょう。

しかし、人種差別の意識は、今でも、根強く、残っているようで、外国で差別的扱いを受ける日本人もいるという話を、チラホラと聞くことも。

個人的には、外国は、怖くて、行きたくありませんね。