野坂昭如さんの短編小説「火垂るの墓」。
この作品は、小説よりも、むしろ、高畑勲監督のアニメ映画の方が、有名でしょう。
最近、この映画に関するネットの記事を目にしました。
そこには「二度と、見たくない名作」と書かれていましたが、まさに、その通り。
僕も、この映画を、ちゃんと見たのは、一度だけ。
それでも、強烈な印象が、記憶の中に残っている。
そして、あまりの悲しさに、また、見ようとは、あまり、思わない。
あの悲しみを、また、体験したくないような気持ちがある。
さて、野坂昭如さんの原作小説の方。
こちらも、一度、読んでみようと思って、何年か前に、文庫本を買ったのですが、なかなか、実際に、読む気にはなれなかった。
そして、ようやく、先日、読んでみたところ。
意外なほどに短く、まるで、高畑監督の映画を見ているのと同じような感じで、読むことが出来る。
文章は、非情に、独特で、小説を読み慣れていない人には、ちょっと、厄介な文章かも。
それにしても、驚いたのは、やはり、高畑監督のアニメ映画の方。
野坂さんの小説の雰囲気を、そのまま保ち、見事なアニメにしていることが、小説を読めば、改めて、よく分かる。
高畑監督は、アニメ「じゃりン子チエ」もまた、原作漫画の雰囲気を、そのまま、アニメに表現をして、素晴しいものですが、もはや、このようなアニメーションを作る人は居ないですよね。
高畑監督のアニメには、独得のリアルさがある。
リアルな社会に、リアルな生活感。
それが、清太、節子の死を、際立たせて、とても悲しい。
ちなみに、このアニメ「火垂るの墓」は、以前は、毎年のようにテレビで放送されていたようですが、ウィキペディアを見ると、2018年に高畑監督が亡くなった時に、追討番組として放送されて以降、一度も、テレビで放送されていないようですね。
やはり、子供が見るには、少し、辛いものかも。
さて、この「火垂るの墓」。
物語は、戦争孤児となった兄と妹が、誰の助けを得ることも出来ず、最終的に、食べる物が無くなり、栄養失調で餓死をしてしまうというもの。
戦争で、最も、困難な状況に置かれるのは、社会の中で、最も、弱い、子供、と、言うことになる。
この「火垂るの墓」は、韓国や中国では「加害者である日本が、まるで被害者のように描かれている」と、なかなか、国内で上映されることは無かったようですが、どのような事情があろうと、子供は、どこの国でも、戦争の「被害者」に違いない。
中東のガザでは、多くの罪の無い子供が殺され、ウクライナでも、多くの子供たちが、困難な状況に置かれていることでしょう。
こういう映画、小説が、抑止にならないものでしょうかね。