メジャーリーグのワールドシリーズ。

左肩を亜脱臼した大谷選手は、強行出場をしたようですね。

ワールドシリーズで戦うことが出来るというのは、もう、二度と無いことかも知れないと思うと、どうしても、試合に出たいという気持ちは、よく分かります。

しかし、今後の、選手生命に影響が無ければ良いですけど。

 

怪我をしながら、強行出場をしたプロ野球選手と言えば、広島カープの衣笠選手を思い出します。

ネットで調べてみると、巨人戦で、西本投手から背中に死球を受け、左の肩甲骨を骨折。全治二週間の診断を受けたものの、翌日は、代打で出場し、フルスイングで、三球三振。翌日からは、フル出場をしたということ。

連続試合出場の記録が続いていたとは言え、凄いことですよね。

もっとも、今では、このような無茶なことは、選手の身体を守るという点から、無理なことなのではないでしょうか。

 

また、高校野球でも、昔は、ありましたよね。

 

有名なのは、別所毅彦投手。

 

1941年の春の甲子園。豪腕投手として活躍をしていたそうですが、準々決勝の岐阜商業との試合で、9回表、ランナーとして、本塁に突入した時、転倒をして、左の肘を骨折。何と、その9回裏、左の肘を三角巾で吊った状態で、マウンドに立ち、延長12回、痛みが我慢の限界に達するまで投げたということ。

試合は、延長14回で、負けたものの「泣くな別所、センバツの花」と讃えられたのは有名な話。

しかし、今の時代、こういうことは、許されないですよね。

 

そして、漠然とした記憶に残っているのが、景浦将。

 

この景浦将という人は、阪神タイガースで活躍をした強打者。

そして、投手としても優れた才能があり、打者として最高打率、投手として最優秀防御率を同時に達成。打者、投手のタイトルを同時に獲得したのは、この景浦将、一人だけということ。

この景浦将について、以前、この景浦が、甲子園で、足を骨折をした状態で試合でプレーをしている映像が見つかったと、ニュースで見た記憶があるんですよね。

しかし、ウィキペディアを見ると、1932年、夏の大会の決勝で、中京商業の打者の打ったボールが、二番手としてマウンドで投げていた景浦の左足に直撃。

三塁の守備に回ったが、延長11回で、敗北したと書かれているだけ。

骨折していたというのは、僕の記憶違いでしょうかね。

 

さて、個人的に、大好きな、ちばあきおさんの漫画「キャプテン」。

 

墨谷二中の初代キャプテンの谷口は、最後の青葉学園との試合で、敵のベンチに飛んだ飛球を捕ろうと、ベンチの中に飛び込んだ時に、右手の人差し指を骨折してしまう。

しかし、試合に勝つため、谷口は、マウンドで投げ続けた。

 

 

そして、試合には勝ったものの、谷口の右手の人差し指は、曲がったままになってしまう。

そして、続編「プレイボール」へ。

 

 

 

墨谷高校に進学した谷口。

右手の人差し指が伸びないことで、野球を断念した谷口だが、野球への未練は断ち切れず、毎日、グランドで練習をする野球部の風景を眺めている。

そんな谷口を見て、いつまでも野球に引かれていては駄目だろうと、サッカー部の先輩が、谷口を、サッカー部に誘う。

サッカーをするのは初めてだったが、持ち前の努力で、次第に上達し、レギュラーメンバーに選ばれるまでに成長した谷口。

しかし、どうしても、野球への気持ちを抑えきれない谷口の様子に気がついた先輩は、サッカー部を辞めさせ、野球部に入れるように、口をきいてやることに。

 

そして、球拾いでも良いからと、野球部に入った谷口は、次第に、周囲に押され、また、野球選手として覚醒をして行くことに。

そして、墨谷高校野球部のキャプテンとなった谷口は、また、弱小チームを、強豪へと押し上げて行く。