藤子F不二雄のSF短編の中に、「カメラ」に関する連作があります。
これは、未来から来た「ヨドバ」という男が、現代に取り残され、カメラのセールスをしている仕事柄、持って来ていた未来のカメラを売ることで、何とか、生きて行こうとする話。
そして、物語の主役は、カメラを売るヨドバではなく、カメラを買った客の方。
未来のカメラを、どう使い、どのような物語になるのか。
とても、面白い。
そして、その「カメラ」に関する連作のプロローグとなる物語が「懐古の客」という短編です。
改めて読み直すと、色々と、気がつくことがありました。
この物語の主人公は、老朽化をしたボロアパートに住む、売れない漫画家です。
このボロアパートに住んでいるのは、その漫画家、一人だけ。
他に住人は無く、大家は、このボロアパートを潰して、駐車場にしたいと思っている。しかし、漫画家には、収入が少なく、他のアパートに移る余裕はない。
漫画家の友人であるカメラマンが、海外で、文明化されていない、自然の中で暮らす部族の写真を撮り、漫画家の部屋に持って来る。
その写真を見ながら、「これこそ、真の人間の姿だ。何ものにも縛られず、自然の中で暮らしている。必要なものだけ、あれば良い。時間に追われ、仕事に縛られる、俺たち日本人は、反省しなければならない」などと話している途中で、カメラマンの友人は、仕事のために、慌てて、部屋を飛び出して行く。
友人を送り、部屋に戻った漫画家は、部屋の中に、一人の男が居るのに驚いた。
この男が「ヨドバ」である。
ヨドバは、未来から現代に、旅行に来たと言う。パック旅行だが、個々人は、自由行動で、この漫画家の部屋を、民宿として紹介されたということ。
当然、漫画家は、そんな勝手なことは承知せず、ヨドバを力尽くで追いだそうとする。しかし、未来の人間には、何をしても歯が立たない。
そして、ヨドバが、六日間の宿泊と食費で、20万円を出す言ったので、金が必要な漫画家は、ヨドバを泊め、一緒に生活をすることになる。
さて、この、未来社会から来たヨドバ。
ボロアパートでの生活の、あらゆることに感動する。
まずは、本物の畳の上に居ることに感動。
そして、漫画家の顔を見て「初期的文明人の顔だ」と感動。
そして、昼飯に、メンチカツとフランスパンを買いに行くのですが、店に店員が居ることに感動。そして、店員が「毎度、ありがとう」と言ってくれたことに感動。
そして、メンチカツの肉が、合成肉でない、本物の肉であることに感動。
パンを作る小麦や、野菜が、土壌栽培物であることに感動。
くみ取り式のトイレを見て、発酵したメタンと、アンモニアの香りに「人間の生きている証だ」と感動。
白熱電灯を見て「博物館で見た」と感動。
蚊や南京虫を見て、「人間が、真に人間らしく、自然と調和をして生きる姿が、ここにある」と感動。
これ、とても面白いですよね。
裏を返せば、ヨドバの住む未来社会が、どのようなものかが、分かる。
まず、本物の畳が無い。これは、畳を作るための「い草」が無いということなのでしょう。
そして、人間の顔も、未来には、かなり変化をしているよう。
店というものは、人の居ない自動販売店で、誰にも関わらず、買い物をすることが出来る。
肉は、本物の肉ではなく、合成された人工の肉が食べられている。
野菜は、土の上で、栽培されている訳ではない。
白熱電灯は、博物館の中に、資料として展示をされている。未来では、他の手段が照明に使われているということ。
蚊や南京虫を見て「自然と調和をしている」と感動しているということは、未来社会では、こういった虫を、目にすることはないのでしょう。
この状況、今でも、現在進行形な部分がありますよね。
い草の一大産地だった早島では、い草の生産は絶えてしまい、これでは駄目だと、今、一部、復活をさせようという運動があるように、少し前に、新聞で見ました。
店に店員が居なくなるという形式は、今、次第に進んでいるようですね。
コンビニの無人店舗など。確か、登録をして、スマホで、決済をするんですよね。
肉を食べることを止めようと、肉に、味や食感を近づけるための合成肉の研究が進んでいるようですね。もう、一部は、食肉の代わりに使われているという話ではなかったですかね。
野菜を、土壌ではなく、工場のような建物の中で生産するということは、もう、一部で、行われているのではないですかね。
白熱電灯が、博物館の中というのは、すでに、実感のあることろかも。
今、照明は、どんどん、LEDに置き換えられている。
確か、蛍光灯は、水銀が使われているために、世界的に、生産、使用が禁止になることが決まっているのではなかったですかね。
蚊や南京虫が部屋の中に居るのを見て「自然と調和している」と感動するのは、もはや、未来社会では、日常生活の中に「虫」というものが存在しないからでしょう。
虫が居ないということは、「自然が無い」ということ。
そして、ラスト。
ヨドバは、食中毒、おたふく風邪、虫刺されの合併症で、重傷に陥る。
漫画家は、慌てて、病院に連れて行くのだが、ヨドバには、全く、免疫が無かったために、命に関わる重体となってしまう。
つまり、未来社会では、このような病気にかかることが無いために、ヨドバには、免疫が無い。
ヨドバは、旅行に来る前に、予防接種をしていなかったらしい。
そして、一ヶ月、命の危機の中で、病院で過ごす訳ですが、そのために、パック旅行の未来に戻るための集合時間に、集合場所に行くことが出来ず、現代に取り残されてしまった。
そして、たまたま現代に持って来ていた本業である「カメラ」を売ることで、生活をして行くことになる。
それが、連作となっている。
さて、「カメラ」というもの。
今では、誰もが、手軽に、スマートフォンで、写真を撮ることが出来る。
そして、いつでも、どこでも、撮った写真を見ることが出来る。
僕が、「写真」を撮り始めたのは、つい最近のこと。
それは、このブログに載せるためであり、それまでは、全く、「カメラ」にも「写真」にも関心が無かった。
プライベートな写真など、中学生の頃に、親が撮ったものが最後。
写真を撮りたいとか、写真に撮られたいとか、つい最近まで、全く、思うことが無かった。
もし、僕が、今、突然、死んでしまったら、遺影に使う写真が、一枚もないので、一体、どうするのだろうと思うところですが、僕自身は、死んでいるので、もはや、関係の無いこと。
今から思えば、子供の頃から、色々と、地域の風景を、多く、写真に撮って、残しておけば良かったなと思うとことです。
しかし、子供の頃には、そのようなことは、考えないですよね。