岡山文庫「由加の民間信仰」という本を、たまたま、本屋で見つけ、面白そうだったので購入し、読了。
この本。
由加山の周辺の歴史に軽く触れた後、江戸時代から明治時代初期にかけて書かれた「紀行文」や「名所案内」から、当時の由加山への参道の様子や、門前町の様子を紹介したもの。
瑜伽大権現、蓮台寺の縁起については、いくつかの説があるようで、どれが正しいのかは、はっきりとしないのでしょう。
そして、瑜伽山が聖地として、全国から多くの参拝者を集めるようになったのは、江戸時代中期の頃からのようですね。
瑜伽参拝の経路としては、現在の玉野市日比から向かうコース。(日比参道)
倉敷市児島田の口から向かうコース。(田の口参道)
倉敷市児島下村から向かうコース。(下村参道)
倉敷市下津井から向かうコース。(下津井参道)
以上は、瀬戸内の港から瑜伽山に向かう参道です。
北側の岡山方面からは、玉野市八浜から向かうコース。(八浜参道)
倉敷市郷内地区を通るコース。(林参道)
以上の二つのコースがある。
備前最古の地誌と言われるのは「備前記」という書物だそうで、編纂をされたのは元禄期(1688~1704)。
この本の中の蓮台寺関係の文章には「この山、一里、麓まで人家なし」と記されているそうで、どうも、この頃には、まだ、門前町は形成されていないどころか、由加山の中には、集落も無かったようです。
そして、寛政年間(1789~1801)に編纂された「吉備温故秘録」には、宝暦年間(1751~1764)には、諸国から多くの参詣者が来て、とても繁盛し、年々、山々が開かれ、旅籠屋が増えていったと書かれているそうです。
瑜伽大根源、蓮台寺の門前町は、大変、賑わっていたようですね。
旅館や茶屋が建ち並び、客引きをする女性の声や、鐘や太鼓を叩く音で、とても賑やかだったそうです。
瑜伽参道で、最も、賑わっていたのは、田の口参道、下村参道の二つだったようですね。
田の口港や、下村港から岸に上がると、参道に沿って、旅館や茶屋、土産物屋が、数多く、立ち並んでいたそうです。
土産物として多かった店は、小倉織や、真田紐を売る店だったようで、江戸時代から、児島は、繊維の町だったようですね。
面白いと思ったのは、「両参り」について。
瑜伽山は、讃岐の金比羅宮と共に参ると御利益が上がるという「両参り」で有名ですが、どうも、讃岐の金比羅宮の方には、この「両参り」に関する史跡は、一つも存在しないという話。
つまり、この瑜伽と金毘羅の「両参り」は、主に、瑜伽の側から発信された話であるようです。
また、この由加山には、「鬼退治」の伝説があり、かつては、かなり有名な伝説だったようですね。
由加の鬼を退治したのは、あの坂上田村麻呂で、この坂上田村麻呂の鬼退治伝説にまつわる史跡も、児島地域には、色々と残っているそうです。
いつか、見て回りたいところ。
ちなみに、玉野市の最高峰である「金甲山」は、この坂上田村麻呂が、由加の鬼退治に向かう途中、坂上田村麻呂が、「金の甲冑」を埋めたという伝説から名付けられてものだという話は、以前から知っていました。
この「鬼退治伝説」の話も、詳しく、書かれていて、面白かったです。