堀辰雄の小説「風立ちぬ」。

この小説もまた、大好きな小説の一つ。

 

 

この小説。

とても、独特の雰囲気を持っています。

この小説の独特な雰囲気は、何と言っても、その「美しさ」にあります。

これほど、美しい小説は、他に無いと思います。

 

この小説は、「序曲」「春」「風立ちぬ」「冬」「死のかげの谷」の五つの章から成り立っています。

やはり、物語性は、それほど、高いものではない。

 

主人公は、「私」で、恋人、そして、婚約者となる「節子」は、結核に冒される。

「私」は、節子が、療養のために「サナトリウム」に入るのに付き添うことに。

この「サナトリウム」とは、結核の患者が、長期療養をする施設。

そして、節子の病状は、次第に悪化をして行き、亡くなる。

最後に語られるのは、節子が亡くなった後の「私」のこと。

 

この小説、文章が、とても、美しいんですよね。

徹底した主観的な視点で語られ、「私」の心理描写や、周囲の情景の描写が、とても美しい。

そして、「私」と節子との関係も、とても美しく描写されている。

「私」の中には、常に、節子があり、二人で過ごす時間が、とても美しく語られて行く。

 

基本的に、小説は「私」という一人称で書かれていても、客観的な視点を持って語られるのが普通。

しかし、この「風立ちぬ」では、その客観的な視点というものが、全く、無い印象で、完全な、「私」の主観から、文章が書かれている。

そして、それが、とても、美しいんですよね。

 

しかし、最後の章である「死のかげの谷」だけは、別で、こちらは、文章の書き方が、普通の小説と同じく、「私」という一人称で書かれているのですが、客観的な視点を持つ印象。

ちなみに、節子は、この「死のかげの谷」では、すでに亡くなっている。

節子の最期は、具体的に書かれてはいませんが、節子を失ったということが、この文章の変化となっているのでしょう。

 

この小説は、実話が元になっているようですね。

 

堀辰雄の婚約者、矢野綾子が、節子のモデル。

堀辰雄と矢野綾子は、昭和9年(1934)9月に婚約。

綾子は、結核により、昭和10年(1935)7月、富士見高原療養所に入院し、堀辰雄もまた、それに付き添う。

そして、12月、綾子は、結核の悪化によって、亡くなる。

この時の体験が、「風立ちぬ」の元になっている。

 

ちなみに、宮崎駿監督のアニメ「風立ちぬ」。

 

この小説が元になっているのだろうと思い、以前、見てみたのですが、どうも、面白くないので、途中で、見るのを止めてしまった。

何で、宮崎監督は、この小説と、零戦の設計者、堀越二郎を結びつけたのでしょうね。

大きな疑問です。