小泉八雲の妻、「セツ」を主人公に、NHKの朝の連続テレビ小説が制作されるようですね。

確か、やなせたかしさんの妻を主人公にした朝の連続テレビ小説も放送が決まっているはず。

どちらも、興味のあるところです。

 

さて、小泉八雲ですが、「怪談」が有名ですよね。

外国人ですが、日本に定住し、日本国籍を取得。

作家として活躍。

 

 

この本を読んだのは、もう30年くらい前のこと。

内容は、全く、記憶に残っていないので、また、買って読もうか、どうしようか迷っているところ。

何で、小泉八雲は、日本に興味を持ったんでしょうね。

明治時代、いわゆる「お雇い外国人」は、数多く居たようですが、日本国籍を取り、日本人として有名なのは、この小泉八雲くらいではないでしょうかね。

 

さて、この小泉八雲の書いた「怪談」の中に、「耳なし芳一」が収録されています。

この「耳なし芳一」は、昔は、何気なく読んだのですが、後々、色々な歴史背景を知ると、色々と、面白い。

 

ネットで調べると、小泉八雲は、江戸時代に刊行された怪談集「臥遊奇談」に収録されている「琵琶秘曲泣幽霊」を参考にして、この「耳なし芳一」を書いたようですね。

 

舞台は、長門国赤間関にある阿弥陀寺。

そこに「芳一」という琵琶法師が住んでいて、「平家物語」を得意とし、中でも「壇ノ浦の戦い」の場面は、名手と呼ばれるほどの腕前だった。

 

ある日の夜、芳一が、一人で阿弥陀寺に居ると、一人の武者が現れ、ある高貴な人に、あなたの琵琶を聞かせて欲しいと頼まれ、芳一は、武者について、出かけて行く。

ちなみに、「琵琶法師」とは、盲目の僧がなるもの。「平曲」と呼ばれる「平家物語」を琵琶によって語る琵琶法師を平家琵琶、または、平家座頭と言ったそうです。

芳一は、平家座頭ということになる。

 

芳一は、目が見えないので、周囲の状況は、よく分からなかったが、何やら、多くの人が集まっている。

芳一は、そこで、琵琶で「壇ノ浦」を語ると、周囲の人たちは、涙を流して感激する。

芳一は、それから、七日七晩の演奏を頼まれ、帰る時には、「このことは他言しないように」と頼まれる。

 

阿弥陀寺の住職は、芳一が、毎晩、出かけて行くことを不審に思った。

そこで、住職は、寺男に、芳一の後をつけさせる。

すると、芳一は、大雨の中、平家一門が葬られている墓地の中で、安徳天皇の墓前で、多くの鬼火に囲まれた中で、琵琶の演奏をしていた。

 

寺男は、驚いて、芳一を連れて返る。

住職に問い詰められ、芳一は、事情を話した。

 

このままでは、芳一が、平家の怨霊に取り殺されてしまうと住職は考える。

 

何とか、芳一を、怨霊から救う方法は無いか。

 

そこで、住職が思いついたのは、芳一の身体に「般若心経」を書くこと。

こうすれば、怨霊から、芳一の身体が見えなくなる。

住職は、芳一の身体に「般若心経」を書き、「絶対に、物音を立てず、何も喋らないうように」と、芳一に告げる。

これで、芳一を、怨霊から守ることが出来る。

 

その夜、いつものように、阿弥陀寺に、迎えの武者が来る。

しかし、武者には、芳一の姿が見えない。呼びかけても、返事がない。

武者は、芳一の姿を探した。

すると、芳一の耳だけが、そこにあった。

住職が、芳一の耳にだけ、「般若心経」を書くのを忘れていたのだった。

「耳しかないのなら、仕方が無い。この耳を持って帰るとしよう」

と、武者は、その耳をつかみ、芳一の頭から引きちぎる。

芳一は、それでも、身動き一つせず、声も上げなかった。

武者は、その耳を持って、阿弥陀寺から、去って行った。

 

その後、芳一のところに、平家の怨霊、武者は、現れなくなった。

それから、芳一は「耳なし芳一」と呼ばれるようになったということ。

 

さて、以上、「耳なし芳一」の粗筋です。

 

大人になり、様々な周辺事情を知ると、このお話を、もっと楽しむことが出来ます。

 

一つは、舞台となったのが、長門国赤間関だということ。

 

この「赤間関」とは、「下関」の、古い呼び方だそうです。

つまり、この長門国の「赤間関」とは、まさに、平家が滅びた「壇ノ浦」の目前であるということ。

 

一つは、「琵琶法師」の存在。

 

琵琶法師が、なぜ「平家物語」を語るのか。

これには、現在の感覚では、「聞く人を楽しませる芸能」という意識が、まず、頭に浮かぶのだろうと思います。

しかし、実は、この琵琶法師が「平家物語」を語る、最も、大きな理由は「鎮魂」のため。

つまり、怨みを持って死んだ平家の人たちの「怨霊」を鎮めるためです。

 

この二つの事情を知っていると、「平家座頭」である芳一が、「赤間関」に居て、そこで、「平家物語」を語れば、平家の「怨霊」が、出て来ない訳が無いんですよね。

恐らく、この物語を最初に創った人は、それを前提に、この物語を書いている。

 

ちなみに、安徳天皇は、この「壇ノ浦」の戦いで、海の中に身を投げて亡くなった。

その時、満6歳。

怨霊にならない訳がない。

 

そして、もう一つは「般若心経」の役割です。

 

芳一は、平家の怨霊である武者の目をくらますために「般若心経」を全身に書きます。

なぜ、「般若心経」を書くと、身体が消えるのか。

これは、個人的に、子供の頃から不思議でした。

 

本来、「お経」とは、「世の中の仕組み、真実」や、「人として、どのように生きるべきか」ということを記したもので、その「お経」の内容を理解し、勉強しなければ意味が無い。

しかし、仏教が、発祥の地であるインドから、中国、日本へと伝わる過程で、「お経」とは、「不思議な力も持つ呪文」のように変化をしてしまうことになる。

 

日本で、お坊さんが、葬式、法事で「お経」を読むのは、「死者の魂」を鎮めるための「呪文」を唱えているのと同じ意味です。

本来、「お経」とは、そういうものではないのですが、なぜか、そのように変化をしてしまった。

 

そして、「般若心経」の経文の中にも、すでに、この「呪文」の要素が含まれている。

この「般若心経」を、サンスクリット語から中国語に訳したものの中に、こういう言葉があります。

「ぎゃーてーぎゃーてー、はーらー、ぎゃーてー、はらそうぎゃーてー、ぼーじーそわか」

これは、中国語に翻訳をする時に、サンスクリット語を、敢えて、そのまま残し、「呪文」として使ったもの。

日本では、中国語に訳した「般若心経」の全文が、「呪文」のように使われていますが、恐らく、当初、中国では、このサンスクリット語の部分が、「呪文」として使われていたのではないでしょうかね。

 

日蓮宗のお題目「南無妙法蓮華経」も、「法華経に帰依します」という意味の「呪文」で、これは「法華経」自体に備わっている御利益、つまり「呪術的力」に頼ろうというもの。

 

果たして、本当に、御利益はあるのでしょうかね。