昨日、放送されたNHKの「クロッズアップ現代」。
全てを見た訳ではありませんが、個人的に、身につまされる内容でした。
「ミッドライフクライシス」
訳すと「中年期の危機」ということ。
人生の半ば過ぎの50代前後。
この頃、心に不安、悩みを抱える人が多いという話。
理由は、いくつかあるようですが、一つは「老いる」ということ。
自分自身が「老い」を感じ、心身に衰えを感じることを、自分自身で受け入れることが出来ない。
もう一つは、自分自身の、これまでの人生の「価値」ということを考える。
自分の人生は、果たして、これで良かったのか。
今の自分自身に、どれほどの「価値」があるというのか。
この番組では、小泉今日子さんを通して、この問題を考えていたようです。
小泉今日子さんほどの、一世を風靡した超有名、人気芸能人でも、そういうことに不安を感じるようです。
冒頭で話していたことは、「子供を抱いている人を見ると、心に、少し、痛みを感じたりしていた」ということ。
僕も、いつの頃からか、同じようなことを感じています。
これが「ミッドライフクライシス」というもので、そのように感じている人も、多く居るということを、昨日、この番組を見て、初めて、知りました。
僕は、同じNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」という番組が好きで、毎週、楽しみに見ていたのですが、少し前から、その番組に出ている家族たちを見ていると、心に辛さを感じ、チャンネルを変えてしまうことがある。
その番組に出ている家族の人たちは、みんな、当たり前に仕事をし、当たり前に結婚をし、当たり前に子供が居て、そして、その子供たちもまた、当たり前に仕事をし、当たり前に結婚をし、当たり前に、孫も居る。
僕は、その「当たり前」が、何も出来なかった。
何だか、自分が責められているようで、見ているのが辛い時が、時々、ある。
もっとも、この「ミッドライフクライシス」に陥る、精神的な悩みは、人によって、それぞれのようですね。
人生の中では「思春期」と並んで、心身の不調に陥ることが多い時期だそうです。
さて、この「老いる」ということに関して、藤子F不二雄のSF短編に「未来ドロボウ」という作品があります。
主人公は、白井学。
一流の高校、一流の大学に進み、人生の高みを目指す中学3年生。
好きな野球もせず、友達と遊ぶことも止め、ひたすら、勉強に打ち込んでいる。
しかし、ある日、父親の経営する工場が倒産。
「高校進学は、諦めてくれないか」
と言われ、学は、絶望する。
あてもなく、近所を歩く学の前に、豪邸が目に入った。
きっと、人生の成功者に違いない。
世の中、不公平だ、と、学は思う。
その豪邸の敷地の中を歩いていた学は、その家の執事に捕まり、その家の主人である老人の居る部屋に連れて行かれる。
老人は、自分が、莫大な財産を持つことを学に示し、学が、自分の人生に絶望をしているのなら、自分の財産全てと、君の人生を交換してくれないか、と、頼む。
まさか、そんなことが、本当に出来る訳がないと、学は、簡単に、承知するが、何と、それは、実際に可能なことだった。
老人は、ある装置を使い、自分自身と、学の「記憶」を移し替える。
そして、老人は、学となり、学は、老人となってしまった。
学(老人)は、生き生きとして、学の家に帰る。
全てものが、鮮やかに感じ、全てのものが、楽しい。
全力で、野球に打ち込み、友達と、精一杯、遊ぶことが出来る。
そして、親の作ってくれるご飯も、とっても美味しい。
両親は、そんな学(老人)を見て、喜ぶ。
学(老人)は、まるで、人が変わったように元気になり、生き生きとしている。
一方、老人(学)は、自分が老人になったことに、ショックを受けていた。
いくら、莫大な財産があろうとも、身体は不自由で、少し、動くと、息が切れる。
食欲もなく、何を食べても、美味しくない。
老人(学)は、ベッドの中で、寝て過ごすようになった。
「まだ、身体は、動くはずです。世界一周旅行にでも出かけてはどうですか」
と、執事は、老人(学)に言うが、何も、する気が起きない。
このまま、死ぬのか、と、老人(学)は、大きく後悔する。
何とか、元に戻りたいが、その手段も無いし、方法も、分からない。
そして、ある日、学(老人)が、野球を終え、家に帰ると、お祝いごとのような豪勢な食事が用意してあった。
「どうしたの」
と、学(老人)が聞くと、
「新しい仕事の目処がついたんだ。お前も、高校に行ける」
と、父が言った。
そうか、高校に行けるのか、と、学(老人)は思った。
そして、学(老人)は、ある決断をし、豪邸に戻る。
学(老人)は、執事に、また、記憶を入れ替え、元に戻ると、伝えた。
驚く執事に、「状況が変わった。彼は、高校に行けないことに絶望をしていたのだが、高校に行けることになったんだ」と伝える。
そして、
「そもそも、この取り引きは、不公平だった。『若い』ということは、それだけで、とても素晴らしいことだ。何ものにも代えがたい価値がある。今回、自分が経験して、それが、よく分かった」
と、学(老人)は言う。
そして、学は、路上で目覚めた。
自分が、自分自身に戻っていることに、涙を流して感激し、家に帰る。
「これから、彼が、どうなっていくのか分からないが、一日一日を、大切に生きてくれることだろう」
と、元に戻った老人は、執事に言う。
「若い」ということが、それだけで、とても素晴らしいことだということは、その時の自分は、気がつかないですよね。
中年も過ぎれば、それが、身にしみて、よく分かる。
恐らく、それもまた「ミッドライフクライシス」の原因の一つなのでしょう。
自分も、何とか、抜け出さないと。