以前から、灘崎の片岡歩道橋のところに石碑があるのが気になっていました。
今日は、サウスヴィレッジに車を置き、散歩がてら、歩いて、そこまで行ってみる。
ここが、片岡歩道橋です。
今のサウスヴィレッジ前の広い道が出来る前は、玉野市から倉敷市に抜けるには、この歩道橋の下の狭い道を、彦崎まで通らなければならなかった。
この石碑、ずっと、干拓地の記念碑かと思っていたのですが、見に行ってみると、戦没者の慰霊のための忠魂碑でした。
石碑の「忠魂碑」という文字を書いたのは、第17師団の師団長だそうで、その名前も、書かれていました。
そして、忠魂碑の前には、五つの石版がありましたが、それぞれに、戦没者の名前が書かれています。
この灘崎地域に住んでいた人たち、と、言うことになるのでしょうか。
戦没者が記された石版が、五つあるのは、どういう経緯なのか。
戦没者の住んでいた、更に、狭い地域ごとに別れているということなのか。
それとも、判明した人を、随時、追加して行った結果、五つに別れたということなのか。
忠魂碑の左手には、大東亜戦争終戦50周年の記念碑がありました。
さて、忠魂碑の前にある五つの石版の中で、僕が、個人的に注目をしたのが、この石版です。
何と、西南戦争で、戦没をした人の名前が、一人、記されている。
他の石版には、日清戦争、日露戦争、日支事変、大東亜戦争の戦没者の名前が記されていますが、西南戦争での戦没者の名前が記されているのは、この石版だけのようです。
この灘崎という小さな地域の中でも、これほど多くの人が戦死をしているということ。
しかも、恐らく、この石版に記されているのは軍人だけ。
民間人も含めれば、戦争で亡くなった人は、もっと増えるはず。
田んぼの風景。正面、サウスヴィレッジです。
やはり、水路に、豊かな水が流れているのを見るのは、気分が良いです。
さて、サウスヴィレッジの近くにあるファミリーマートの駐車場のところに、このような看板があります。
この看板に書かれている「でーこん てーてーてー」という言葉。
意味が、分かりますかね。
岡山の人なら、多分、分かるでしょう。
「でーこん」とは「大根」のこと。
「てーてーてー」とは、「炊いておいて」ということ。
つまり「大根、炊いておいてね」と岡山の人が言うと「でーこん てーてーてー」ということになるものと思います。
しかし、僕の世代では、すでに、こういう言葉遣いをする人は居ないでしょう。
僕の世代では、親、祖父母が、こういう言い方をしていたので、知識としては知っているという程度。
つまり、僕よりも下の世代では、この言葉を、岡山で生まれ育った人でも、理解することが出来ない可能性もある。
さて、方言について。
小学生の頃、担任の先生が、岡山に来たばかりの頃、児童が話している言葉で、分からないものが、いくつかあったという話をしていたのを覚えています。
一つは「みてる」という方言。
先生が、児童に、「何々は、どこにある?」と聞いたところ、児童が「先生、みてた」と答えたので、「何も、見てないよ」と思ったということ。
この「みてる」とは、「無くなる」という意味の方言です。
児童が「みてた」と言ったということは、「全て使って、無くなった」という意味。
一つは「きょーてー」という言葉。
先生が、児童と、遠足か何かに出かけて、山道を歩いている時に、児童たちが「きょーてー、きょーてー」と騒いでいるので、「何が、競艇(きょーてー)なんだろう」と、先生は思ったということ。
この「きょーてー」とは「怖い」という意味。
つまり、児童たちは、山道を歩くのが「怖かった」ということ。
この「みてる」も「きょーてー」も、僕の世代では、ほぼ、使う人は居なかった。
恐らく、僕よりも下の世代の人たちは、この言葉を知らない可能性が高く、こうやって、方言が消えて行くのでしょう。
ちなみに、昔、僕にも、このような経験があります。
ある県外出身者の人と昼食を食べる機会があり、その時に、「漬物やこー、食わんの」と聞いたところ、「漬物『やこー』って、何?」と聞き返されました。
僕が言った「漬物やこー、食わんの」とは、「漬物なんか、食べないの?」と言う意味です。
この「なんか(など)」を意味する「やこー」という言葉が、方言だということを、その時、初めて、知りました。
今でも、知らないうちに、方言を使っているのかも、と、思うところです。