芥川龍之介の小説「歯車」を、久しぶりに読んでみました。

最初から最後まで、ちゃんと、読み直したのは、もう随分と昔のこと。

これまでも、何度か、書きましたが、この芥川龍之介の「歯車」は、僕が、最も、好きな小説の一つ。

 

 

一、レエン・コオト。(昭和2年3月23日)

二、復讐。     (昭和2年3月27日)

三、夜。      (昭和2年3月28日)

四、まだ?。    (昭和2年3月29日)

五、赤光。     (昭和2年3月30日)

六、飛行機。    (昭和2年4月7日)

 

この「歯車」は、以上、6つの短い連作で成り立っています。

物語の起承転結のようなものは、特に、無い。

 

主人公は「僕」。これは、芥川龍之介、本人でしょう。

この「歯車」は、「僕」が、知り合いの結婚披露宴に向かうところから始まります。

終始、精神の張り詰めたような文章で、何か、周囲の情景からの圧迫感、不安感を感じながら、そこから、何とか、逃げよう、不安と圧迫を回避しようと行動する「僕」の様子が、実に、客観的な視点で語られています。

 

この「僕」の、一種、異様とも言える周囲、そして、自分自身への妄想に近い不安が、とても、客観的に語られているところが、この小説の緊迫感に繋がっているのだろうと、個人的には思います。

そこが、この小説の魅力でもある。

 

そして、「僕」の目の前には、自分自身の「死」を象徴するようなものが、頻繁に現れる。

レエン・コオトを着た男もまた、その象徴の一つ。

そして、姉の夫の自殺。火事。

また、視野の中に現れる「歯車」も、その中の一つでしょう。

 

暗く、重苦しいホテルの中で、仕事として小説を書く。

そして、「僕」は、家に帰る決心をする。

しかし、そこでもまた、「死」を象徴するものが「僕」を精神的に追い詰める。

そして、妻の最後の一言。

「唯何だかお父さんが死んでしまいそうな気がしたものですから……」

 

この小説「歯車」は、「レエン・コオト」だけが、芥川龍之介の生前に発表され、残りは、死後の発表だそですね。

芥川龍之介が自殺をしたのは、昭和2年7月24日。

この「歯車」を読めば、芥川龍之介が、精神的に危険な状態だということは、誰もが分かることでしょう。

 

さて、今回、改めて読み直して、新たに気がついたのは、「僕」のことを、「僕」自身が書いているのですが、その視点が、とても「客観的」だということ。

これが、とても、不思議な感覚として感じられたのですが、それは、恐らく、昔から、自覚をすることなく、感じていたことなのでしょう。

だから、この小説に魅力を感じたということ。

 

そして、もう一つは、「キリスト教」に関する話が出て来たこと。

恐らく、昔、この小説を読んだ時には、まだ、僕自身が「キリスト教」に興味、関心があった訳ではなかったので、何も思うことなく読んでいたのだろうと思います。

 

この世の暗闇の中で、「神」の存在を話し、「光」の望みを話す相手に対して、「僕」は、「神」よりも「悪魔」に引かれ、「光」の無い「闇」の世界に居ると感じている。

 

この「神」の居ない日本人の心というのは、遠藤周作さんの小説のテーマでもありますよね。

また、改めて、読み返したいところ。