さて、先日のブログに書いた、藤子F不二雄さんのSF短編「分岐点」。
この物語は、主人公が、自分の人生の「分岐点」に戻って、別の人生をやり直すというもの。
この「分岐点」と似たテーマの物語として、同じ、藤子F不二雄さんのSF短編に「あの馬鹿は荒野を目指す」という作品があります。
主人公は、ホームレスの男性。
年齢は、53歳。
主人公が、年末、いつものように、駅の構内で過ごしていたところ、あるホームレス風の男性が、主人公に話しかけて来る。
「あの、ちょっと、聞いても良いですか」
「何を聞きたい? 俺の人生か? 何で、ホームレスをしてるのか、か」
ホームレス風の男は、いきなり、確信を突かれて、驚く。
「お前、ルポライターか何かだろ。その格好、作りすぎだぞ」
と、主人公は、ホームレス風の男をたしなめる。
「まあ良い。話してやっても良いのだが、これから、ちょっと、用があるんだ」
主人公は、「あの馬鹿」に会いに行くと言う。
今度こそ、絶対に、「あの馬鹿」を止めてやると、主人公は、男性に話す。
そして、除夜の鐘と共に、主人公は、男性の目の前から消えた。
主人公は、ある大会社の社長の御曹司だった。
しかし、バーで働く、一人の女性を好きになり、その女性と結婚をしたいと思うのだが、当然、家族は反対。
そして、ある日の夜、若き日の主人公は、その女性と駆け落ちをするために、家を出る。
しかし、女性の部屋に向かう若き日の主人公の前に、27年後、ホームレスとなってしまった主人公が姿を現した。
ホームレスの主人公は、若き日の主人公に、「自分は、27年後のお前だ」と話す。
当然、若き日の主人公は、それを信じない。
しかし、ホームレスの主人公は、これから駆け落ちをしようという女性が、どういう女性か。その女性とは、結局、別れることになり、その後、悲惨な人生を歩み、ホームレスとなってしまった自分の人生が、どれほど惨めなものか。必死の思いで、若き日の自分を説得する。
しかし、若き日の自分は、主人公の言葉を聞き入れない。
主人公は、若き日の自分と別れ、女性の部屋に先回りをした。
それは、女性の方を、説得し、若き日の自分と別れされるためである。
女性は驚くが、主人公の話を聞き、納得してくれようとしたところで、若き日の自分が、部屋に来る。
若き日の主人公は、ホームレスの主人公に激怒。
しかし、更に、自分の惨めさを話し、説得を続けようとするホームレスの主人公に、若き日の主人公は憤慨し、
「だったら、死ね! 俺は、自分がお前みたいになるなど、認めないぞ」
と、殴りつける。
意識を取り戻した主人公は、駅の構内に、倒れていた。
ホームレス風の男性は、心配し、「どうでしたか」と訪ねる。
「いや、全く、お話にならないよ」
と、主人公は、答える。
しかし、若き日の自分の情熱を見たホームレスの主人公は、「また、何か、やってみよう」と、思うようになる。
「なに、まだまだ、人生、これからさ」
と、満足げな顔を見せたところで、この物語は終わります。
もし、タイムマシンがあり、過去に戻り、自分自身の人生を変えさせようと考えたら。
なかなか、難しいですよね。
特に、相手が、大好きな異性の場合、「その相手と結婚をしては、不幸になるから、別れろ」と、未来の自分が言っても、なかなか、難しいのではないかと想像するところ。
大体、恋愛物語は「結婚」がゴールで、ハッピーエンド、と、言うことになりますよね。
しかし、その後、二人は、どういう生活を送ることになるのか。
必ずしも、ハッピー、と、言う訳ではないのだろうと想像するところです。